曽野話法 − 砂上論法を斬る(13)
経験は重い、私の経験は絶対的に重い。(3)
自己経験を絶対視すれば、「私が経験しないことは存在しない」ことになる。哲学はいざ知らず、現実問題でこのような極端な立場を取る人は稀だが、曽野綾子氏はその一人のようだ。
自己経験を絶対視すれば、「私が経験しないことは存在しない」ことになる。哲学はいざ知らず、現実問題でこのような極端な立場を取る人は稀だが、曽野綾子氏はその一人のようだ。
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