曽野話法 ー 砂上論法を斬る(9)
私は別、私の知り合いも別(2)
もう一つ例をあげよう。ルポ・ライターの石田郁夫氏に対する批判である。サンデー毎日の創刊五十周年記念特集(1972.4.30号)で、石田郁夫氏は「渡嘉敷島住民集団自決の真相」と題する記事を書いた。この記事は、曽野氏と同じ情報、つまり、現地調査、赤松隊陣中日誌、赤松隊長への取材に基づいているが、結論が曽野綾子氏と正反対である。赤松氏のインタビューのくだりは次のようになっている。
石田記事が出たのは、曽野氏が雑誌『諸君!』に『ある神話の背景』の連載を始めて半年くらいたった頃であった。曽野氏は連載の最終回(1972年9月号)で断固反撃に出た。
まず「Ⅰ氏の肩書はルポ・ライターとなっているから、書かれたものはルポルタージュ、つまり報告と見なすべきであろう」と言う。次に言語学の大家サミュエル・ハヤカワを登場させ、S・I・ハヤカワの『思考と行動における言語』によれば、報告の文章は次の二つの規則に従う必要がある、という。第一に、それは実証可能でなければならず、第二にできるだけ推論と断定とを排除しなければならないと基本要件を提示する。その上で、しかるにI氏の記事は全くこの要件を満たしておらず、I氏の記事は原則を踏み外した暴論であると結論付ける。
I氏とは石田郁夫氏のことであるが、「ある女流作家」とされたことのお返しである。この反論で、曽野氏は、石田氏の立ち位置を非常に限定している事が分かる。これで攻撃が容易になり、石田氏を斬り捨てることが出来た。
しかし、肩書きがルポ・ライターだといっても、狭い意味の報告ばかり書いている訳ではあるまい。また、報告がどうあるべきかに関して、ハヤカワ氏の見解で統一されているわけでもなかろう。結局、曽野氏の前提が妥当であるのは、曽野氏が概念規定に厳格な場合に限られるだろう。
では、曽野氏はノンフィクション作家の肩書きに見合うものを書いているのだろうか。第3次教科書裁判でのやり取りを紹介しよう。曽野氏は証人尋問のはじめの方で『ある神話の背景』がノンフィクションだと証言している。
曽野氏は、書名さえ適当なら、主観的な想念をノンフィクションに入れてもよいといっている。これは「ノンフィクションはそうしたものを極力排除する」という一般の認識とはかなり異なる。この一般認識を前提にすれば「曽野氏の『ある神話の背景』はノンフィクションとは似て非なるものである」と、石田氏への批判をそっくりそのまま曽野氏にお返しすることが出来る。
そもそも『ある神話の背景』という題で、主観的な想念を多数含むことが了解されると言う曽野氏の説明は理解困難である。この書は後に『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! 』と改題されて復刻された。こうなると、そうした読み取りは正常な日本語感覚ではまず無理だろう。『~の真実』という題の本はすべてジョークと思えというのなら話は分かるが。
『ある神話の背景』には、「主観的な想念」どころか、かなりの嘘が入っている(拙著「検証『ある神話の背景』参照)。また、ひめゆり学徒隊を扱ったノンフィクション『生贄の島』でも、被取材者から「事実でないことが書いてある」「口述したことと違う」といった批判が出ており、「強いて小説という名を冠して呼びたい」と南風原陸軍病院で軍医をしていた長田紀春氏は書いている(『福木の白花』)。
もう一つ例をあげよう。ルポ・ライターの石田郁夫氏に対する批判である。サンデー毎日の創刊五十周年記念特集(1972.4.30号)で、石田郁夫氏は「渡嘉敷島住民集団自決の真相」と題する記事を書いた。この記事は、曽野氏と同じ情報、つまり、現地調査、赤松隊陣中日誌、赤松隊長への取材に基づいているが、結論が曽野綾子氏と正反対である。赤松氏のインタビューのくだりは次のようになっている。
赤松氏は雑詰『諸君!』に連載されている女流作家の赤松隊事件の「神話説」(『ある神話を背景』のこと:引用者注)をことごとく引用して弁明した。今年の一月には赤松隊士官の同窓会があり、その高名な作家も出席して歓をつくしたという。
石田記事が出たのは、曽野氏が雑誌『諸君!』に『ある神話の背景』の連載を始めて半年くらいたった頃であった。曽野氏は連載の最終回(1972年9月号)で断固反撃に出た。
まず「Ⅰ氏の肩書はルポ・ライターとなっているから、書かれたものはルポルタージュ、つまり報告と見なすべきであろう」と言う。次に言語学の大家サミュエル・ハヤカワを登場させ、S・I・ハヤカワの『思考と行動における言語』によれば、報告の文章は次の二つの規則に従う必要がある、という。第一に、それは実証可能でなければならず、第二にできるだけ推論と断定とを排除しなければならないと基本要件を提示する。その上で、しかるにI氏の記事は全くこの要件を満たしておらず、I氏の記事は原則を踏み外した暴論であると結論付ける。
I氏とは石田郁夫氏のことであるが、「ある女流作家」とされたことのお返しである。この反論で、曽野氏は、石田氏の立ち位置を非常に限定している事が分かる。これで攻撃が容易になり、石田氏を斬り捨てることが出来た。
しかし、肩書きがルポ・ライターだといっても、狭い意味の報告ばかり書いている訳ではあるまい。また、報告がどうあるべきかに関して、ハヤカワ氏の見解で統一されているわけでもなかろう。結局、曽野氏の前提が妥当であるのは、曽野氏が概念規定に厳格な場合に限られるだろう。
では、曽野氏はノンフィクション作家の肩書きに見合うものを書いているのだろうか。第3次教科書裁判でのやり取りを紹介しよう。曽野氏は証人尋問のはじめの方で『ある神話の背景』がノンフィクションだと証言している。
弁護人:証人の主観的ないろいろ想念に浮かばれたものも割と多く出ているように思うんですけれどもそれもやはりノンフィクションということになるのでしょうか
曽野:そうでございます
弁護人:そういうものが混ざっておっても構わんですね。
曽野:はい、書名がございますから。
曽野氏は、書名さえ適当なら、主観的な想念をノンフィクションに入れてもよいといっている。これは「ノンフィクションはそうしたものを極力排除する」という一般の認識とはかなり異なる。この一般認識を前提にすれば「曽野氏の『ある神話の背景』はノンフィクションとは似て非なるものである」と、石田氏への批判をそっくりそのまま曽野氏にお返しすることが出来る。
そもそも『ある神話の背景』という題で、主観的な想念を多数含むことが了解されると言う曽野氏の説明は理解困難である。この書は後に『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! 』と改題されて復刻された。こうなると、そうした読み取りは正常な日本語感覚ではまず無理だろう。『~の真実』という題の本はすべてジョークと思えというのなら話は分かるが。
『ある神話の背景』には、「主観的な想念」どころか、かなりの嘘が入っている(拙著「検証『ある神話の背景』参照)。また、ひめゆり学徒隊を扱ったノンフィクション『生贄の島』でも、被取材者から「事実でないことが書いてある」「口述したことと違う」といった批判が出ており、「強いて小説という名を冠して呼びたい」と南風原陸軍病院で軍医をしていた長田紀春氏は書いている(『福木の白花』)。
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