曽野話法 − 砂上論法を斬る(11)
曽野綾子氏の論法 -曽野話法- は経験論である。「経験によれば~、よって私は~と思う」と論を運ぶことに変わりはないが、自己の特異な経験を絶対視するという特徴がある。
まず、曽野氏が直接関与したわけではないが、この論法が国策の決定に用いられた例をあげよう。それは2次方程式の解の公式の取り扱いである。
教育課程審議会会長だった三浦朱門氏は、「週刊教育Pro」のインタビュー「教育の今後の方向」(1997.4.1)の中で
という、曽野綾子夫人のコメントを引用し、教科内容の厳選を進める事を明言した。結果、1998年7月の審議会答申で、2次方程式の解の公式は中学数学から姿を消した。私は2次方程式もろくにできないけれども、65歳になる今日まで全然不自由しなかった。
しかし、この答申を受けた教育改革で、いわゆる学力低下をめぐる議論が起きた事は記憶に新しい。結局、中央教育審議会の「学習指導要領の改善等に関する答申」(2008.1)で、2次方程式の解の公式は復活することになった。日本にとって、曽野綾子は一人いれば沢山であるが、2次方程式が解ける人は沢山必要なのであった。
次に、国策の決定に曽野氏自身が直接関わった例として、司法制度改革審議会をあげよう。この審議会は現在の裁判員制度の骨格を決めたことでよく知られているが、曽野氏は13名の委員の一人であった。
陪審員制度の導入をめぐっての第32回会合での発言である。曽野氏は渡嘉敷島の集団自決事件で、島の守備隊長赤松大尉が自決命令を出したかどうかを自身で調査し、通説とは異なり、そのようなものは確認できなかった。その経験に照らせば、事実認定は困難であり、陪審員制度には反対である。これが趣旨である(らしい)。
これだけの発言をするのに、曽野氏は実にまわりくどい手順を踏む。長い発言なので3つに区切る。
まず、自己の特異な経験を持ち出し、自分が最も経験豊富だと誇る。
【曽野委員】私は法が行われていない国をずっと歩いてきたんです。ブラジルには侵入区というものがあって、侵入する、invasion。そこにみんなが勝手に土地を不法占拠するもので、法が人生を解決するなんていうことを思っていない人々がいっぱい地球上にいるということですね。この中で、陪審にもし選ばれたらどうなるかということを体験しているのは、私が一番だろうと思うんです。
法が行われていない国をずっと歩いたからといって、どうして陪審の体験が一番豊富と言えるのか。そもそも法の存在を前提とした陪審制度を議論しているのではないか? そんな疑念を知ってか知らずか、曽野氏はさらに、渡嘉敷島の集団自決を調べた経験を持ち出し、陪審員に選ばれたら資料調査から始めると言う。
例えば、今おっしゃいましたが、私が12人の中に選ばれたとしますね、私は与えられた資料を全く信じませんから、そこから私の任務というのは発生すると思っております。私は、沖縄に関しまして『ある神話の背景』というのを書いたんです。これは渡嘉敷島の集団自決において、陸軍の特攻舟艇部隊の赤松という隊長が、村民に自決命令を出したということが定着いたしまして、大江健三郎の『沖縄ノート』の中には、この赤松隊長に関して罪の巨塊とまで書いたんです。
この後、赤松隊員に個別に取材したという例の嘘話をして、
と、最後を「私だけは陪審員は願い下げ」で締める。.....(赤松隊長が命令を出したという事実は)出てこなかったんですけれども、それはそんなことやれないです。そして、私は裁判所が与えられた資料をお前信じろと言われたら、絶対信じませんから、事実上できない。ですから、陪審員というものがありましたら、私がやらなきゃ構いませんけれども、私だけは願い下げという感じです。
言うまでもないが、曽野氏は陪審員制度導入の可否についての意見を求められているのであって、曽野氏個人が陪審員を出来る、出来ないを聞かれている訳ではない。曽野氏の論は、結局のところ、私、私、私である。井戸端会議レベルの発言を国の審議会で聞かされて出席者は唖然としたであろう。曽野氏と論戦をした太田良博氏(本連載(4))はこんな曽野氏を「土俵を間違えた人」と的確に評している。
「土俵を間違えた人」をどうあしらうか、司法制度改革審議会の佐藤幸治会長の方法は参考になる。これを紹介したい。まず、上記の発言に対して
と完全無視である。そして藤田氏は曽野氏とは無関係の話をし、曽野氏の提起した(?)問題はこの日の会議で論ぜられる事はなかった。【佐藤会長】そうですか。では、藤田委員どうぞ。
もちろんこのままでは、曽野マグマがいつか爆発する恐れがある。そこで第34回の会合で、冒頭20分間を曽野氏の独演会にあてガス抜きを図った。委員にこのような形で発言の機会を与えるのは異例といってよい。委員は審議の中で自由に発言する事が出来、またそうすべきであり、発言枠を特別に与える必要はないからである。
この20分枠で曽野氏が話した事は
1. 渡嘉敷島の集団自決に関わる曽野氏の取材経験
2. 自由な表現力と、複雑な人間の心理に対する理解力を持つ必要性
3. 組織として意見表明をする日弁連は不要
である。
これに対して、佐藤会長は
と儀礼的に応じる。もちろん、この後の審議で「曽野委員のお話」がまじめに議論された形跡はない。取り上げられた「曽野委員のお話」をリストアップすると大変含蓄のあるお話であり、同時にまたいろいろ御異論のおありの方もあるかと思います。…これからの法曹養成の在り方の議論の中で、今の曽野委員のお話も参考にしながら御議論いただければというように考えております。
【山本委員】法学部の卒業生といえども…曽野先生あるいは 髙木さんがおっしゃったような幅広い人格とか、法曹についての適格性だとか、当然そういうことも各大学がこれから選考の中に入れていくという…
【佐藤会長】…さっきの曽野委員の話にも関係すると思いますけれども、やはり多様な教養、考え方を持った人が法曹に入ってほしいという考え方が根底にあることは間違いないと思います。…
【水原委員】…実務を通じて初めて、曽野先生がおっしゃったように、裁判に携わる者は複雑な人間の心理をよく理解する人でなければいけない。
【山本委員】…たしか石井委員からも、弁護士改革とかいう言葉で言われておると思いますし、曽野先生の御意見もあるわけですから、今までそういった意味で大きな議論はしていないかもしれませんが、…
曽野氏の出席は第54回会合が最後で、とりまとめとなる残り9回の会合を欠席している。全63回の会合のうち曽野氏が出席したのは22回、このうち3回は発言がなく、ある程度存在感を示せたのは特別枠をもらった第34回だけであった。「土俵を間違えた人」は相撲を取らせてもらえなかったのである。