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曽野話法 − 砂上論法を斬る(13)

経験は重い、私の経験は絶対的に重い。(3)

 自己経験を絶対視すれば、「私が経験しないことは存在しない」ことになる。哲学はいざ知らず、現実問題でこのような極端な立場を取る人は稀だが、曽野綾子氏はその一人のようだ。

 まず、アパルトヘイトを称揚したと批判された産経コラムを振り返ってみよう。産経コラムにおける、人種を分けて住んだ方が良いことを示すアパートのエピソードは、ある人物から聞いた話がもとになっている。その人物を信用できると踏んだからコラムで紹介したのだろう。ところが、ペコ南ア大使によればありえないエピソードであり、曽野氏は結局撤回するはめになった(新潮45 2015.4)。

 もうひとつ例をあげよう。本連載(6)で紹介した同和問題である。サンデー毎日に連載された「私日記1 運命は均される」で「東京生まれで東京育ちの曽野の周囲で同和問題が話題になった事はない。ゆえに同和教育はやめるべきである」と主張した。曽野氏は同和問題の現場を目撃したことはなく、周囲にもそうした問題があると教えてくれる人はいなかったのだろう。 しかし、彼女の経験がどうであれ、東京にも同和問題は存在する。はなはだしい事実誤認とされ連載は打ち切りとなった。

 以上の受動的な経験に対して、能動的な経験があり得る。これは調査によって得られるものだが、曽野氏の自信は相当なものである。司法制度改革審議会の委員だった曽野氏は陪審員制度の導入の議論で、自分が陪審員に選ばれたとしたらとして、次のように発言している。

私は与えられた資料を全く信じませんから、そこから私の任務というのは発生すると思っております。

裁判にプロが提出した証拠を信用せず自分で調査するというのだから驚くほかない。自信の裏づけは、赤松元隊長が自決命令を出したとする証拠はなかったことを発見した(と曽野氏が信じている)経験である。

 ところで、曽野氏の調査は信頼できるのだろうか?

 曽野氏は「ある神話の背景」(後に「集団自決の真実」と改題)を著し、赤松隊長擁護の論陣を張った。このときにフル活用したのが、戦後四半世紀経ってから編集された赤松隊の陣中日誌である。その前書きは

基地勤務隊辻政弘中尉殿が克明に書き綴られた本部陣中日誌と第三中隊陣中日誌…を資に取りまとめ、聯かの追記誇張、削除をも行わず、正確な史実を世代に残し…

と正真正銘の陣中日誌を謳っている。曽野氏はこれを

これは唯一の、「手袋は投げられた」という感じの文章ではないだろうか。

と受け取った。手袋を投げる(throw the glove)とは「挑戦する」の意味である。赤松隊長が自決命令を出したと非難する世間への挑戦と見たわけだ。
 陣中日誌を読み、赤松元隊長や陣中日誌の編集者に直接会った上でこの感触を得たのだろう。 しかし、見当違いだった。この陣中日誌は原本を大規模に改竄した、捏造文書といっていいくらいの代物だったことが後に判明する。

 曽野氏が会長を勤めていた日本財団は、ペルーのフジモリ政権が30万人以上の女性に対して実施した避妊手術に対して200万ドルの資金援助を行った。曽野氏は

家族計画は主に山間地に住むインディオたちを対象に、既に子供がたくさんおり、夫婦が完全に同意した場合のみ、夫婦のどちらかに避妊手術を行うものであった。(毎日新聞2000/12/3)。

と言う。財団が援助した案件を曽野氏は自分の目で確認する。この件に関しても、フジモリ大統領の案内で、現地を2度にわたって視察している。 しかし、避妊は任意ではなく実は強制だったルモンド紙(2004.5)

 以上を踏まえての本ブログの提案だが、曽野氏は、警察庁の「振り込め詐欺にだまされないために」というサイトに一度目を通されてはいかがだろうか。そこには、

「私は絶対大丈夫」と思っている人ほどだまされやすい!

と書いてある。



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技術系の某役所を退職後、あり余る時間を使い、妄説探索の旅へ。理系老人の怪刀乱魔。

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