菅原道真と地震
意外な取り合わせと思われるかもしれない。菅原道真は今で云う高級官僚であり、方略試という最高位の官吏登用試験を貞観12(西暦871)年3月23日に受験した。そこで、「辨地震(地震を辨(わきまへ)よ=地震を明らかにせよ)」が出題されたのだ。
この問題は「明氏族(氏族を明らかにせよ)」とともに出題された。出題者は都良香(みやこのよしか)で、道真の解答と共に良香の講評と採点結果も残されている(菅家文草・巻八、都文集・巻五)。
地震が出題された理由は、前年に、東北地方太平洋沖地震(2011.3.11)の一つ前の地震といわれる貞観地震が、さらにその前年に播磨の国(兵庫県)で直下型の地震が発生したためであろう。
問題の趣旨を、理系風に意訳すると
1. 万物の変化は沈静で従順なものである。なぜ、その本来の性質を変えるような地震がおきるのか?
2. なぜ地震動が遠方まで伝わるのか。
3. 仏教の地震の分類や因縁とどのようにかかわっているのか
となる。
道真の解答を紹介する前に断わっておかなければならない。原文は漢文で、良香については、語釈、通釈があるから一応問題はないが、道真に関しての理解はかなり怪しい。また、今風の科学の知見を持ち込んで解釈するヤボは了とされたい。
さて、道真の解答は、
と重々しく始まる。その後地震の原因を、儒教、道教、仏教に関する該博な知識を駆使して論じる。要点はひそかに考えまするに、陰陽は測らず、上帝が人君の手を借りて、性命は言い難く、先王機に号令を設く…
・儒教:君主に対する戒め
・道教:陸が海の上に浮んでいて、陸を支える大亀が時折交代することによる。泰山、蓬莱山などの五大山は、それぞれつながっておらず、海中に浮んでいて、行きつ戻りつする。15匹の大亀が頭上に五大山をのせ6万年に一度づつ交代する。
・仏教:風が地震を起こす。仏教の世界観は大地の下に水があり、その下に風がある。
である。これに対する良香の講評は
である。こじつけだと言っており、結構辛らつである。地震の起こる理由は押し極められておらず、空しく五大山が動いてしまうという風なことに理は滞り、妄りに種々の考えを述べてはいるが、震動は大亀が六万年に一度交代することによって生じるのだというふうなことにこじつけられている
問題自体は具体的であるが、解答は思弁的にならざるを得ない。たとえば前年の貞観地震に言及すれば、儒教的には為政者の失政の結果であるから、今上天皇(清和天皇)の批判になりかねないからだ。道真が引用するのは遠く離れた中国の地震だけである。
道教と仏教では、大地が何者かの上に乗っかっていて、その何者かに地震の原因を押し付けるわけだ。何者かがマントルだとすれば、プレートテクトニクスである。こじつけという批判だが、それぞれの世界観を前提とすれば、それほど不自然には思われない。道教では鯰でなく亀が地震を起こし、仏教では風が吹けば大地が鳴動するのである。この空想は結構楽しい。
次に地震動の伝搬に関しては、道真は雷鳴を聞いて鳥が鳴く例を引いたりしている。良香の講評は
となっており、いまひとつ不得要領である。思うに道真は連鎖的な伝搬現象をアナロジーで挙げたのだろう。ただし伝搬する実体は異なる。地震の場合、地震動のエネルギーが伝わる。これに対し、鳥の例では、エネルギーと言うよりは、雷が鳴ったという情報が鳥に伝わって鳥が鳴いたという風に見るべきだろう。震動の跡を国土の果てまで探れということについては、まだ、優れた鳥の激しい鳴き声のことを充分に言い尽くしてはいない。
最後に、仏教の地震の分類や因縁との関わりであるが、良香の講評をカンニングすると
となっている。仏教では震動を、土地の昇降-今風に言えば正断層、逆断層などの断層運動-にしたがって6種類に分類している。良香の講評から判断すると道真が特段深い考察をしたわけではなさそうだ。六種の震動の種類のみの部分であり、それぞれが生じる理由のことについてのことは明確にされていない。
さて、「氏族を明らかにせよ、地震を弁ぜよ」の2問題に対する総合評価であるが、
で、成績は「中の上」であった。なかなか厳しい評価だが、道真は五月十七日めでたく合格した。名前を書き落としたり、文章中に多くの瑕瑾が有り、作文上守るべき規則にはずれている。しかし、文章は彩を成し、文体には観るべき点が有り、令の条文により評価できなくはない。筋道はほぼ整っており、よってこの対文(答案のこと)を中の上とする。
「中の上」は合格最低点なので、試験の前に天満宮にお参りに行くのはどうなのかという気がしないでもない。ただし、道真の名誉のために付言すると、現存する答案の採点結果はほとんど(全部?)中の上なのだそうで、これよりよい結果はつけなかったのかもしれない。
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