どうして(マイナス)×(マイナス)=(プラス)か?
プラスは財産、マイナスは借金として、プラスとマイナスは理解できる。+2は2円の財産、−5は5円の借金である。では、借金と借金を掛け合わせるとどうして財産になるのか?
これにいたる流れを遠山啓『数学入門』を孫引きして紹介しよう。インドは0を発見した国として有名だが、インドのバスカラ(12世紀)は「財産と財産の積、借金と借金の積はともに財産であり、財産と借金の積は借金である」と述べている。意外なのは18世紀の大数学者オイラーが「代数学入門」でこの説明を用いていることだ。
ところが、これだと本ブログのリードの疑問が出てくる。「赤と黒」の作者スタンダールは自伝の中で
と書いている。私は、数学では偽善は不可能であり、少年らしい単純さから数学が応用されるすべての科学はみなそうだと思っていた。しかし、どうして(マイナス)×(マイナス)=(プラス)になるかを誰も説明できないことが分かった時、どうしたらよいだろうか。
…
10,000フランの借金に500フランの借金をかけ、それがどうして5,000,000フランの財産をもつようになるのか
さて、スタンダール説明はおかしいところがある。それは単位を明示するとわかる。10,000フランの借金に500フランの借金をかければ5,000,000 $(フラン)^2$となる。つまり単位はフランではなく$(フラン)^2$である。これは訳の分からない単位である。
理解困難な単位がでてくることから、マイナスを借金に例えるのは、かけ算を説明するのに適当でないと言えそうだ。これに代わる説明が『数学入門』にある。
トランプのツーテンジャックのようにカードにプラス・マイナスの点数がついていると考える。カードを取ると捨てるは逆の関係なので、取るときをプラス、捨てるときをマイナスに対応させる。2を掛ける事は、同じ点数のカードを2回取る事、(-2)を掛ける事は2回捨てることに対応させる。
さて、(-2)×(-3)では-3の点数を-2回とる=2回捨てる、と解釈することになる。このとき得点6が得られるので(-2)×(-3)=6とするのが合理的とするのである。
この説明では単位の問題が無い。カードを取ったり捨てたりする作業は(回)、それによる得点は1回当たりの得点なので(点/回)である。だからかけ算の結果は(回)×(点/回)=(点)である。
メデタシメデタシでブログを閉じても良いのだが、もうすこし駄弁を弄することにする。
もともと数学は単位のない世界の記述なので、単位のある現実世界とは別であっても差し支えない。そうだとすると、とどのつまりは約束事だと割り切るのが精神衛生によい。
では、どういう約束事をしたことになるのだろうか。数の計算を行う時に括弧が最優先、次にかけ算と割り算、その次に足し算と引き算という約束事は教わった記憶があるだろう。これ以外にも無意識に使っているものがある。それはそれは括弧を自由に外せるという約束事である。
たとえば $3\times(4+7)$ を計算したいとしよう。これを括弧の中をまず計算して11、それに3をかけて33が求まる。もうひとつ括弧をはずして
\[
3×(4+7) = 3×4 + 3×7 = 12 + 21 = 33
\]と計算する。当然のことながら、両者は一致するのだが、このとき分配律が成り立つという。ところで分配律を要請すると(マイナス)×(マイナス)=(プラス)になるのである。
例えば
\[
(-2) ×(3 +(-3))
\]を計算することを考えよう。まず括弧の中を先に計算して
\[
= (-2)×0 = 0
\]と結果は0になる。一方、括弧をはずして計算すると
\[
(-2) \times 3 + (-2)\times (-3) = -6 + (-2)\times (-3)
\]であるが、この結果が先ほどの0である為には、
\[
(-2)\times (-3)=6
\]つまり(マイナス)×(マイナス)=(プラス)とするほかない。
もっとも、数学の公理は矛盾が無い限り自由に設定してよいので、
\[
(-2)\times (-3)=-6
\]と定義しても構わない。しかし、こうすると括弧が自由に外せなくなる。このような数の体系が自然科学等では使われることはほとんどなさそうだ。
さて、(マイナス)×(マイナス)=(プラス)なので、
\[
a \times a = -1
\]となることはないのだが、これをあると思って新たに$i$という虚数を割り当てる。普通の数と虚数を使った数を複素数というが、これが非常に役に立った。交流回路の計算で大活躍するし、微視的な世界を記述する量子力学では必須である。
複素数は普通の数と虚数の2つあるので2元数であるが、これを拡張したものに4元数がある。電磁気学の体系はこの数を使って記述出来る。それで一時盛り上がったらしいのだが、ベクトル解析という処方箋が見つかって現在は(少なくとも教科書レベルでは)放逐された形になっている。この4元数はかけ算の順序をかえると値が一般には同じではない。
\[
a \times b \ne b \times a
\]
4元数の上が8元数である。これは可換律に加えて結合律が一般には成り立たない。
\[
(a \times b) \times c \ne = a \times (b \times c)
\]ここまでくるとちょっと使い道がなさそうに見える。筆者は物理での使用例を見たことが無い。
可換律と結合律が成り立たない数はとても使い物にならないと思われるかもしれないが、実は暗号に例がある。太平洋戦争時の日本陸軍の暗号は、語句を表す4桁の数字コードに4桁の乱数を足して秘匿する方式だった。何度も使っているとコードと乱数を割り出されて解読されてしまう。そこで足し算の規則を通常の規則から変更する。たとえば
\[
1+ 3 = 9 , 3+3 =1
\]のようにである。そしてこの規則を2週間くらいの短期間でどんどん切り替えていくのである。この計算方式では一般には
\[
a+ b \ne b + a , a + (b+c) \ne (a + b) + c
\]である。
4元数も8元数も分配律は満たしている。この意味で分配律は可換律や結合律より基本的であると見ることも出来る。分配律が成り立たない計算規則は使い道がないようなこと上に書いたが、実は無いことはない。量子力学の論理に使った例を見たことがある。
量子力学は答えをだすレシピと思えば特段難しい訳ではないが、観測を入れてあれこれ考えだすととたんに訳が分からなくなる。それ故、敬して遠ざけるのが職業的科学者の処世術とされている。ところが、この不可解な観測のロジックを基礎に据えると普通の科学がよく理解出来るという予想外の主張する人が現れた。慶応大学の石川史郎氏である(「科学哲学序説」、「量子言語入門」(近刊))。量子力学はやはり奥が深いといえそうだ。
スポンサーサイト