曽野話法 − 砂上論法を斬る(18)
後出し(2)
対立する2つの主張を並べた時、後に出した方が強く印象に残ることを述べた。このテクニックを使うと主張の対立するA氏とB氏に対して、根拠らしい根拠がなくとも、A氏を優位に立たせることが出来る。B氏の一連の主張をぶつ切りにした上で、それぞれにA氏の反論をつけて再構成するのだ。曽野綾子氏はこのテクニックを『ある神話の背景』で使い、自決命令を出したとされる赤松氏に肩入れした。
『ある神話の背景』は雑誌『諸君』に一年かけて連載、その後文芸春秋社から単行本として出版された。諸君版と文春版は同じではない。文春版では、赤松氏に有利になる様、曽野氏は秘術(?)を尽くすのだ。その一つが、赤松隊隊員だけの追加取材と後出しテクニックによる反撃である。A氏とは赤松嘉次隊長、B氏とは渡嘉敷村長だった古波蔵惟好氏である。
古波蔵氏は、諸君版で集団自決に至る経緯とその後の状況を曽野氏に説明している。説明は自然である。
これを曽野氏は後出しテクニックで突き崩す。古波蔵氏の主張をぶつ切りにし、赤松氏サイドの主張で反論して行くのである。古波蔵氏の主張が信用出来ないという印象を作り出すことが目的である。そのためには古波蔵氏の主張点のことごとくに反論する必要は無く、都合のいいところをピックアップして揚げ足取りの要領で行えば十分である。
古波蔵氏によれば、米軍の空襲が始まって村民は島の中部の避難場所(食料庫、避難壕があり、上空からは発見されにくい谷間)に集まっていたところ、赤松隊陣地の近くに集まれという命令を受けた。諸君版は
ここでもうひとつ小技を効かせている。「その土地」に「(今となってはお互いに地点を確認することも不可能な)」という修飾句を付け、古波蔵氏の話がいい加減だという雰囲気を醸し出す。
さて、この後、集団自決が起きたが、古波蔵氏は手榴弾が不発だったため生き残り、一週間、赤松隊の陣地に留め置かれたと古波蔵氏は話す。留め置かれたこと自体は全体から見れば些事でしかないが、曽野氏は、隙ありとみてすかさず赤松氏の反論をかぶせる。
さらに衛生兵だった若山元衛生軍曹のコメント付け加えて、赤松反論の徹底補強を図る。
たったこれだけの細工であるが、全体を通して読んでみると、文春版の古波蔵氏の主張は諸君版に比して極めて弱いものになっていることが分かる。古波蔵氏は信用出来ない人だという印象すら抱く様になる。
曽野氏のしてやったりの表情が目に浮ぶようだ。
対立する2つの主張を並べた時、後に出した方が強く印象に残ることを述べた。このテクニックを使うと主張の対立するA氏とB氏に対して、根拠らしい根拠がなくとも、A氏を優位に立たせることが出来る。B氏の一連の主張をぶつ切りにした上で、それぞれにA氏の反論をつけて再構成するのだ。曽野綾子氏はこのテクニックを『ある神話の背景』で使い、自決命令を出したとされる赤松氏に肩入れした。
『ある神話の背景』は雑誌『諸君』に一年かけて連載、その後文芸春秋社から単行本として出版された。諸君版と文春版は同じではない。文春版では、赤松氏に有利になる様、曽野氏は秘術(?)を尽くすのだ。その一つが、赤松隊隊員だけの追加取材と後出しテクニックによる反撃である。A氏とは赤松嘉次隊長、B氏とは渡嘉敷村長だった古波蔵惟好氏である。
古波蔵氏は、諸君版で集団自決に至る経緯とその後の状況を曽野氏に説明している。説明は自然である。
これを曽野氏は後出しテクニックで突き崩す。古波蔵氏の主張をぶつ切りにし、赤松氏サイドの主張で反論して行くのである。古波蔵氏の主張が信用出来ないという印象を作り出すことが目的である。そのためには古波蔵氏の主張点のことごとくに反論する必要は無く、都合のいいところをピックアップして揚げ足取りの要領で行えば十分である。
古波蔵氏によれば、米軍の空襲が始まって村民は島の中部の避難場所(食料庫、避難壕があり、上空からは発見されにくい谷間)に集まっていたところ、赤松隊陣地の近くに集まれという命令を受けた。諸君版は
と書いている。文春版では、このあとに、軍の方がそこへ集れという所を彼らは目ざして歩いているつもりであった。住民の方は軍に近い方が安全だと思っていた。
その土地に着いてから彼らはタコ壺を掘りかけた。道具がないから、飯盒などいろいろなもので掘った。ようやく体半分ぐらいはいる穴を掘ったところで、ここは軍陣地だというので追い出された。そして結果的には却って敵に近い自決場へ追いやられた。
とカウンターをひとつ入れる。もっともこの話も赤松隊側からは否定されている。隊側によれば複廓陣地に各隊を配備して壕を掘り出した時には住民はその地点に一人もいはしなかったという。
ここでもうひとつ小技を効かせている。「その土地」に「(今となってはお互いに地点を確認することも不可能な)」という修飾句を付け、古波蔵氏の話がいい加減だという雰囲気を醸し出す。
さて、この後、集団自決が起きたが、古波蔵氏は手榴弾が不発だったため生き残り、一週間、赤松隊の陣地に留め置かれたと古波蔵氏は話す。留め置かれたこと自体は全体から見れば些事でしかないが、曽野氏は、隙ありとみてすかさず赤松氏の反論をかぶせる。
赤松元大尉によれば村長をとめておいた事実は全く無いという。とめておいたのであれば狭い陣地内でもあり、誰かの眼にふれている筈だが、それを見た者は無い筈だという。又、古波蔵元村長は軍の衛生兵が治療をしてくれたというが、自決命令を出したものならなぜ衛生兵を治療にやるか。村民の治療といえども隊長の命令以外のものではなかった筈だという。
さらに衛生兵だった若山元衛生軍曹のコメント付け加えて、赤松反論の徹底補強を図る。
たったこれだけの細工であるが、全体を通して読んでみると、文春版の古波蔵氏の主張は諸君版に比して極めて弱いものになっていることが分かる。古波蔵氏は信用出来ない人だという印象すら抱く様になる。
曽野氏のしてやったりの表情が目に浮ぶようだ。
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