曽野話法 − 砂上論法を斬る(19)
電気が無ければ民主主義も無い - 因果と相関
電力会社の講演会でのウケねらいかと思っていたが、「電気の無い国には民主主義は無い」とあちこちで発言していることが分かった。私的のみならず公的な場も含まれており、どうやら大真面目らしい。そこでこちらも真面目に検討して見よう。
いつごろから言い出したのは不明だが、毎度おなじみの日本財団データベースでは大阪新聞(1997/11/18)が一番早い。
検討の為にもう少し分かりやすい形に書き換えておこう。①は「電気が無ければ、民主主義が無い」である。これと等価な主張は
(a) 民主主義があれば、電気がある。
である。いわゆる対偶命題である。②は(a)と表現を揃えて
(b) 電気があれば、民主主義がある。
としておこう。
(a)が成り立っていないことは、古代ギリシャの直接民主制から明らかである。(b)に関しては、ナチスドイツが、電気を用いた一大発明であるラジオを活用して民主主義の対極にあるファシズムを確立したことを思い出せば十分だろう。
こうした例もさることながら、そもそも曽野氏の主張は議会制民主主義の手本とされるイギリスの歴史を全く無視している。
貴族の集まりでしかなかった会議に他の階層の代表者をいれた1265年のシモン・ド・モンフォールの議会が、イギリス議会制民主主義の始まりとされる。この後、市民革命を経て、制度が成熟して行くことになる。
近代的な形は選挙法改正によって整えられるが、嚆矢となる第1回の改正は1832年である。この時に選挙権が、地主階級から、都市の中産階級に拡大された。この改正は、18世紀後半からはじまった産業革命後の産業資本家、労働者階級の成立を受けたもので、電気の活用とは関係がない。実際、電気の活用が始まるのは、選挙法改正の後である。電磁誘導の法則をファラデーが発見したのは1831年、これで発電が可能になり、電気の恩恵を社会が受ける様になった。因に白熱電灯がロンドンの街路に導入されたのは1882年である。
曽野氏は、①で述べている様にアフリカの状況を見て「電気と民主主義」の関係を思いついたのだが、例によって自己体験の絶対視に起因する視野狭窄が認められる。これ以外にもう一つ過ちを犯している。相関と因果の混同である。2つの間に相関関係が認められたとしても、一方が他方の原因になるといった因果関係があるとは限らない。
よく知られた話をあげよう。結核患者の分布を調べたら気候の良い場所の密度が高く、これから結核は気候の良いところに発生しやすいと結論した。これは誤りで、実際は、患者が療養するサナトリウムを気候の良いところに建てたため、多数の患者が気候の良いところに集まったためであった。気候の良さと患者数に高い相関関係が認められたが、因果関係はなかったわけである。
電気と民主主義の関係に於いても、見かけの相関が高くとも、原因は別物の可能性があることを頭に入れなくてはならない。
日々、糊口を凌ぐに精一杯であれば、民主主義など思いもよらない。そこで、
(c) 民主主義があれば、民生・経済的安定がある。
あるいはその逆
(d) 民生・経済的安定があれば、民主主義がある。
を考えてみよう。仮説(d)では、図のような関係になる。

電気が発見された以降の時代であれば、民生・経済の安定があれば、その活用が進むであろう。したがって、民主主義と電気の活用度には正の相関が認められよう。しかし、両者に因果関係はない。因果関係は民主主義と民生・経済的安定の間に存在する。したがって、民主主義を進めるためにダム、火力発電所、原子力発電所を沢山作っても無駄で、民生・経済的安定を高めるべきである。因果関係を読み誤っては、誤った対策をとることになる。
なお、仮説(c)(d)は、相関関係と因果関係の違いを説明したいが為に持ち出したものである。実際の状況はもっと複雑であることはいうまでもない。例えば、中国の歴史でイギリスと同等あるいはそれ以上の民生・経済の安定が達成された時期はあったと思う。しかし、イギリスのように民主主義へ向けて歩みだすことはついになかった。
電気が無ければ民主主義も無いという曽野氏の主張は、居酒屋談義のレベルである。私的な場であれば、どうぞご随意にというところだが、国の審議会のレベルになればそうも言っていられない。首相の諮問機関である教育改革国民会議の委員であった曽野氏は、第1分科会へ提出したレポート(2000/6/15)で自説を披瀝している。ヤレヤレである。もっともさすがに第1分科会の報告書(7月26日、執筆者:曽野綾子)に「電気と民主主義」の話は載っていない。第1分科会委員の諸氏に最低限の良識は残っていたようだ。
電力会社の講演会でのウケねらいかと思っていたが、「電気の無い国には民主主義は無い」とあちこちで発言していることが分かった。私的のみならず公的な場も含まれており、どうやら大真面目らしい。そこでこちらも真面目に検討して見よう。
いつごろから言い出したのは不明だが、毎度おなじみの日本財団データベースでは大阪新聞(1997/11/18)が一番早い。
また、石原東京都知事との対談(VOICE 2003/1)でこうも言っている。①アフリカを初めとする多くの途上国に行って私は民主主義というものは電気のない国には存在しないのだということを発見した。
では、電気が無いところではどうなるかというと(教育改革国民会議/第一分科会への提出レポート2000/5/25)②電気があるというのは、民主主義ができるということです。
と、族長支配を挙げ、民主主義との対比は明瞭である。③そのような土地では、今でも族長支配的な政治形態を採ることになります。
検討の為にもう少し分かりやすい形に書き換えておこう。①は「電気が無ければ、民主主義が無い」である。これと等価な主張は
(a) 民主主義があれば、電気がある。
である。いわゆる対偶命題である。②は(a)と表現を揃えて
(b) 電気があれば、民主主義がある。
としておこう。
(a)が成り立っていないことは、古代ギリシャの直接民主制から明らかである。(b)に関しては、ナチスドイツが、電気を用いた一大発明であるラジオを活用して民主主義の対極にあるファシズムを確立したことを思い出せば十分だろう。
こうした例もさることながら、そもそも曽野氏の主張は議会制民主主義の手本とされるイギリスの歴史を全く無視している。
貴族の集まりでしかなかった会議に他の階層の代表者をいれた1265年のシモン・ド・モンフォールの議会が、イギリス議会制民主主義の始まりとされる。この後、市民革命を経て、制度が成熟して行くことになる。
近代的な形は選挙法改正によって整えられるが、嚆矢となる第1回の改正は1832年である。この時に選挙権が、地主階級から、都市の中産階級に拡大された。この改正は、18世紀後半からはじまった産業革命後の産業資本家、労働者階級の成立を受けたもので、電気の活用とは関係がない。実際、電気の活用が始まるのは、選挙法改正の後である。電磁誘導の法則をファラデーが発見したのは1831年、これで発電が可能になり、電気の恩恵を社会が受ける様になった。因に白熱電灯がロンドンの街路に導入されたのは1882年である。
曽野氏は、①で述べている様にアフリカの状況を見て「電気と民主主義」の関係を思いついたのだが、例によって自己体験の絶対視に起因する視野狭窄が認められる。これ以外にもう一つ過ちを犯している。相関と因果の混同である。2つの間に相関関係が認められたとしても、一方が他方の原因になるといった因果関係があるとは限らない。
よく知られた話をあげよう。結核患者の分布を調べたら気候の良い場所の密度が高く、これから結核は気候の良いところに発生しやすいと結論した。これは誤りで、実際は、患者が療養するサナトリウムを気候の良いところに建てたため、多数の患者が気候の良いところに集まったためであった。気候の良さと患者数に高い相関関係が認められたが、因果関係はなかったわけである。
電気と民主主義の関係に於いても、見かけの相関が高くとも、原因は別物の可能性があることを頭に入れなくてはならない。
日々、糊口を凌ぐに精一杯であれば、民主主義など思いもよらない。そこで、
(c) 民主主義があれば、民生・経済的安定がある。
あるいはその逆
(d) 民生・経済的安定があれば、民主主義がある。
を考えてみよう。仮説(d)では、図のような関係になる。

電気が発見された以降の時代であれば、民生・経済の安定があれば、その活用が進むであろう。したがって、民主主義と電気の活用度には正の相関が認められよう。しかし、両者に因果関係はない。因果関係は民主主義と民生・経済的安定の間に存在する。したがって、民主主義を進めるためにダム、火力発電所、原子力発電所を沢山作っても無駄で、民生・経済的安定を高めるべきである。因果関係を読み誤っては、誤った対策をとることになる。
なお、仮説(c)(d)は、相関関係と因果関係の違いを説明したいが為に持ち出したものである。実際の状況はもっと複雑であることはいうまでもない。例えば、中国の歴史でイギリスと同等あるいはそれ以上の民生・経済の安定が達成された時期はあったと思う。しかし、イギリスのように民主主義へ向けて歩みだすことはついになかった。
電気が無ければ民主主義も無いという曽野氏の主張は、居酒屋談義のレベルである。私的な場であれば、どうぞご随意にというところだが、国の審議会のレベルになればそうも言っていられない。首相の諮問機関である教育改革国民会議の委員であった曽野氏は、第1分科会へ提出したレポート(2000/6/15)で自説を披瀝している。ヤレヤレである。もっともさすがに第1分科会の報告書(7月26日、執筆者:曽野綾子)に「電気と民主主義」の話は載っていない。第1分科会委員の諸氏に最低限の良識は残っていたようだ。
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