曽野話法 − 砂上論法を斬る(23)
人の言うことを聞かず、反論されてもまともに答えず、自己矛盾に陥っているのにも気づかず、ひたすら自分の意見を一方的に主張するだけ。某国首相の国会答弁で分かる様に、強弁は始末が悪い。曽野氏の強弁を災害ネタから拾って見よう。
曽野氏は国内の災害などの被害者に対して批判的である。台風と地震では(産経新聞2004/10/22, 10/29)
・避難所で救援物資を当てにして待っているのは甘え
・避難時に寝具などを携行すべし
・余震の合間に鍋を手に入れ、ガス漏れの心配のない所ですぐに火をおこして米を炊く
・必要なものが手元にないのなら、その辺で調達せよ
などと言っている。
曽野氏の主張は、個人レベルでは良策かもしれないが、大災害など多数の人間が関わる事態になるとそうとは限らない。いわゆる合成の誤謬といわれるものである。
たとえば、津波から逃げる場合、一人なら徒歩よりも車の方が有利である。しかし、多数の人が車を使えば道路が渋滞して、逃げられず全滅する恐れが出てくる。
関東大震災では、被災者は家財道具を大八車に積み、最も安全と思われるところに逃げた。個人レベルでは最善であろうが、大局的には全く違った。一カ所(本所被服廠跡)に四万人もの被災者が集まる結果になり、ほとんど全員が火災旋風の犠牲になった。火災旋風は同時多発的に火災が発生したことが直接の原因のようだが、家財道具に飛び火して被害を大きくした面もあったと思われる。
ところで曽野氏の主張は、このような一般的視点を欠いているという以上に、現実離れしている点に問題がある。例として東日本大震災での同趣旨の発言をとりあげよう(週刊ポスト2014/3/21)。
大震災の時、私はその場にいなかったのですからよくわかりませんが、その夜から避難所には、食べ物を作る方はいらしたのかしら。私だったら津波が引いたら、鍋とかお釜を拾いどん焚いて暖を取りますし、高台に住む人におコメを分けてもらってすぐ炊き出しを考えますね。(中略)ところが、震災直後には『誰の所有物かわからない鍋や、誰の家屋の一部だったか定かでない木片を無断で拾ったり燃やしたりしたら、窃盗になる』なんてことを言い出す人も少なくなかったそうです
以下は:被災者の感想
・その夜から避難所には、食べ物を作る方はいらしたのかしら。
当たり前のように避難所といっていますが、夜までに家に帰れた人は良い方です。電車も、バスも、もちろんタクシーも動いていません。みんな長い距離を歩いて帰ってきたのです。うっかり、自家用車で帰るものなら、信号機も停電で動かない大渋滞の道路でかえってたどり着くこともできなかったかもしれません。
水につかったまま、陸に上がれず低体温症で死んでいきました。
食べ物を食べる気なんて起きませんでした。激しい余震が何日も続いたのです。
曽野さんは、そういうことがわからないで言っているのでしょう。だから、悪意があるわけでも、できないことをしろと被災地ではむごい話と感じることも無邪気にお話をされているのでしょう。東京で被災したような感覚で、お話しされているのでしょう。こちらを思いやっていらっしゃるのでしょう。
・私だったら津波が引いたら、鍋とかお釜を拾いどん焚いて暖を取りますし、
鍋とかお釜をどこから拾うのでしょう。もしかしたら、道路とか空き地に落ちているとか思っていらっしゃるのでしょうか。落ちていたらそうしますということなのでしょうか。それとも、津波で流された人の家に勝手に入り、食器を盗んでくるというのでしょうか。われわれ、東北人は、そういうことができないのを歯がゆく思われているのでしょう。曽野さんの国の文化と、日本の文化は少し異なるようです。あるいは夜の真っ暗な水の中に潜って探せということなのかもしれません。
それから、どうやって火をたくのでしょう。乾いたマッチやライターはどこにあったのでしょう。何を燃やすというのでしょう。水で湿っていない建物を壊すというのでしょうか。やはり日本の道徳とは相いれないお話だと思います。電気、ガス、水道などのライフラインが途絶したことはご存じでないはずはないので、海辺のことだと思いますが、燃やせる素材を提案されるのであれば、今後のこともあるので、ぜひ教えていただきたいと思います。何も暖をとるものもなく、水が引かずに低体温症で死んでいった人たちに対して、鞭打つようなことをおっしゃることにもおそらく理由があることなのでしょう。木の上だったり、家の屋根だったり、水の中でも、どんどん燃やして暖をとれとそういうことを言っているのではないのでしょう。
海辺の地域でないところでもライフラインは途絶していました。乾いたマッチやライターはあったでしょう。何を燃やして暖をとれというのでしょう。避難所といえば学校や公民館、役所でした。外は雪が降っていました。人のものを燃やして、公共の危険を生ぜしめる不道徳な人はいませんでした。道徳にこだわるなという励ましなのでしょう。
・高台に住む人におコメを分けてもらってすぐ炊き出しを考えますね。(中略)
海辺の街の中学校は避難所でした。体育館は一階なので使えません。もちろん一晩中水などひきません。狭いスペースでも教室はいっぱいになり、廊下でじっとしている人たちもたくさんいました。
水が引かないため、高台などへはいけません。そもそも高台に行けたならば、高台の避難所に始めから行くでしょう。
夜中でも次の朝でも水浸しになりながら高台に住む人のところに行って、教室という教室にあふれかえっている避難民のためにどれだけ、米を分けてもらえることでしょう。ちょっと想像するなりしてもらえばよいはずです。高台の人が、有り余るコメを備蓄しているという事情もありません。われわれは、考えませんね。
・震災直後には『誰の所有物かわからない鍋や、誰の家屋の一部だったか定かでない木片を無断で拾ったり燃やしたりしたら、窃盗になる』なんてことを言い出す人も少なくなかったそうです」
誰が言っていたのか、情報源を明らかにしてほしいですね。どの程度の影響力のあったことなのか、わざわざ週刊誌に発表することなので、よほど重大な情報だったのでしょう。
避難所の風景を知っているならば、偶然落ちている鍋釜や、木片を拾うことがそれほど意味のあることでないことはよくわかります。一言で言ってどうでもよいことです。
どうして曽野さんは、どうでもよいことを週刊誌にお金をもらって書いていたのでしょう。どうして週刊ポストはこんなどうでもよいことをお金を払って書いてもらっていたのでしょう。きっと意味のあることなのでしょう。
知り合いが、平成23年3月11日低体温症などで亡くなった場合、このような記事が発表されたこと自体とてもむごく感じることだと思います。誰に何のために2014年になって書いたのでしょう。なすすべもなく死を迎えた人たちに対して、工夫も努力しないということを嘲笑し、自分だったらたくましく生きるということを得々として語っているようにしか読めません。しかも、そんなこと誰だって思いつくし、可能ならばやっていることです。
海辺でも避難所でも人の鍋釜を拾って来たり濡れた木片を拾ってきても何もいいことはありません。
被災者や被災者を知り合いに持つ人たちに対して何の慰めにならないどころか臓物をえぐるような酷い文章です。
災害ネタに限らず本ブログでこれまで紹介して来た多くの曽野話法は、要するに、「強弁」である。人の言うことを聞かず、反論されてもまともに答えず、自己矛盾に陥っているのにも気づかず、ひたすら自分の意見を一方的に主張するだけ。これこそが曽野話法の本質である。