エピローグ 星辰の運行も思いのまま目撃者が居ないか、居たとしても記憶が定かでないと判断したとき、事実を都合よく書き換えることはよく行われる。曽野綾子氏にとっては星辰の運行もこの範疇らしい。噴飯物の例を紹介して、本連載の区切りをひとまずつけることにしよう。
『ある神話の背景』で、曽野氏は集団自決のあった渡嘉敷村の4人の女性をインタビューする。
昭和四十五年十月十日は満月の夜であった。
と印象的な言葉ではじめ、25 年前の同じ満月の日、出撃か否かを巡って「渡嘉敷島の最も長い日」を味わっていた赤松隊の富野少尉の記憶を重ね合わせる。その同じ月光を浴びながら海につき出た突堤の上で二十五年前、若い娘であり、若い妻だった婦人たちの集団自決の話を聞くのである。しかし、残念ながらこれといった成果を得ることなく、インタビューは終る。
曽野氏は
二十五年前も悪夢なら、今、私が、いつかやって来る自分の死の準備のために、人間のさまざまな生涯を書きつづけるのも一場の夢なのだな、という気はした。
と感想を述べ、最後を
北斗七星は、死に切れないでいる人々のとどめをさした鎌が天にあげられたように、大きく強く夜空に固定されていた。
と締めくくる。
苦笑のほかない。秋の北斗七星は水平線近くに横たわり、沖縄附近では水平線下に沈んでしまう。下図は曽野氏が見たであろう北斗七星を示す。星が見えるようになった19 時頃、既に柄の部分しか見えず、20 時にはほぼ全体が山に隠れてしまう。また冒頭の満月も嘘である。

このインタビューは必要な情報をとれずに(おそらくは意図的にとらずに)失敗に終っているが、それが露見しない様、月と北斗七星を目くらましとして使ったのだろう。
同じく『ある神話の背景』から。1945年3 月26 日未明、赤松隊は沖縄本島転進のため、舟艇を秘匿壕から出して、海に浮かべる泛水作業を懸命に行なうが、結局失敗に終る。『ある神話の背景』の泛水作業の描写である。
午前零時、出撃準備命令が発令されていた。[中略]それに加えて、潮が引き始めた。持ち運びの距離もそれにつれて長くなったのだ。珊瑚礁が、白骨の山のように長々と泛び上る。
しかし、これは嘘で、潮は引いて行くのではなく満ちて来るのである(下図参照)。

潮の干満を読んで作戦を立てるのは、作戦指揮のイロハだと思うが、それが出来なかった無能な隊長も曽野氏の手にかかると、天に見放された悲運の人に早変わりである。
この連載を書くに当たって曽野氏の多くの文章に目を通した。慣れてくると、「これは嘘だ」とピンと来るようになる。この連載では判断のポイントをいくつか拾って見た。読者各位もそうしたものをお持ちと思う。お寄せいただければ幸いである。
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こんにちは。
曽野は小説家らしいので小説化するのが得意なようです。
「生贄の島」はノンフィクションとうたっていますが、小説です。
証言ではありえない書き方が目に付くからです。
例えば「ため息をついた」みたいな表現を用いて脚色しているのです。
証言者が淡々と語った事に対し、曽野が思い付いた表現を付加する事により単なる小説となっています。
目軍医大尉を勝手に悪者に仕立て上げた事でもわかります。
沖縄戦捕虜の証言上・下を15分前に注文しました。
時代による戦争の語り方の変容に注目している私としては、どうしても欲しかった証言なので興奮気味です。
「生贄の島」も阪神さんのおっしゃる通りですね。目大尉は、悪の魅力も持ち合わせた悪人風に描かれています。小説的には「受ける」からそうしたのしょうが、ノンフィクションでは禁じ手でしょう。
一番の問題は、本来もっとまともな人によって書かれるべき沖縄戦のノンフィクションが、彼女の作品が出たことによって書かれなくなったことだと思います。私たちが手にしているのはフィクションまがいのノンフィクションでしかありません。
「沖縄戦捕虜の証言」の購入有り難うございます。捕虜尋問調書に書いてあることと全く違った事を戦記雑誌に書いた人もいるようです。まさか、自分の調書が後に公開されるとは思っても見なかったんでしょうね。朝鮮人軍夫の実態は不明の事が多いのですが、彼等が日本をどう見ていたのか興味深いところです。
阪神さんも研究をされている由。まとまりましたら、紫峰出版での出版を是非お考え下さい。
私は赤松隊と個別に会ったという曽野の言い分以前に泛水時の潮位を疑っていた。時期は2007年春くらいだろうか。しかし、証拠は逃げはしない、最終的には気象庁へ問いあわせる手があると思い、その他の複数の疑問点で証拠を探し、最初に見つかったのが「青い海」の写真だった。 何故潮位を疑ったかといえば、曽野の「切りとられた時間」に泛水しようとした日が満月と書かれ、これはインターネットでたやすく違うとわかった。
そこから、曽野は切りとられた時間で嘘を垂れ流す予行演習をしているに違いない。おそらくある神話の背景で赤松隊に有利に書かれていることのほとんどは虚偽であろうと確信した。
証明の程度に高低はあるものの私の発見した「ある神話の背景」の虚偽で偶然に発見したものはあまりない。 始めから曽野の嘘を疑い、反証となる証言や物理的事実を探し求めた結果である。
もちろん、いくつかの疑惑は反証材料がなく疑惑だけに止まっているものもある。
しかし、これほど私の人生でもこれほど推測が確かなものになる確立が高いケースは空前のことである。
このことは、「ある神話の背景」には意図的な虚偽が多いという確率が限りなく百パーセントに近いことを示している。
さんげつさん
>阪神さんも研究をされている由。まとまりましたら、紫峰出版での出版を是非お考え下さい。
ありがとうございます。オリンピック後になると思います。
仕事さえしていなければもっと早くできるのですが仕方がないですね。
(沖縄)県産本にするか柴峰出版にするかは、色々な人の意見を伺って検討いたしますので、随分先になりますがお待ちくださいませ。
和田さん
潮位の嘘を最初に指摘されたのは和田さんでしたね。
いくら曽野氏でもこういう直にバレる嘘はつかないもんだと、理系人間の私は思っていました。曽野氏は二次方程式が解けない事を自慢(?)している典型的な非理系人間です。それ自体は構わないのですが、自分の考えを外部に押し付けるのは困ったものです。彼女の発言に端を発したゆとり教育がもたらした災難は大変なものでした。
さんげつさん、はじめまして。サウスポーと申します。
キー坊さんのブログをつたってきました。
阪神さんの「証言者が淡々と語った事に対し、曽野が思い付いた表現を付加する事…」のところは私も阪神さんの考えに賛同します。
新聞記者の世界では、取材した内容を正しく記述することは当たり前で、脚色を排して書くように指導されると聞いたことがあります。例えば「唇をかんだ」「遠くを見つめた」「嬉しい悲鳴」などでしょうか。
定型化された文章を使うと、表現に悩むことなく、時間の節約にもなります。しかしそれは同時に、物書きとしての表現力を放棄することにもなると思います。
さて、曽野さんの発言に関してですが、彼女は以前こんなことを仰っています。
「私たち東京人にせっせと差別を教え込むのは、東京人ではない人たちである。私の知る限り、東京の日常的な暮らしでは、交遊、就職、結婚などのあらゆる面で、部落問題が意識や話題に上ることがない。学校や、女性同士の通俗的な場の、陰口、噂話にも出ない。しかしなぜか東京には部落がない、というと機嫌が悪くなる人がいる。喜んでくれてもいいのではないか」
本当に東京に部落問題はないのでしょうか?いまのところ検証できていませんが。
曽野氏の言いたいことは、おそらく部落問題のない東京は素晴らしいところだから褒めてくれということでしょうか?曽野氏はこうも仰っています。
「どうして差別問題を是正しようとする人は、こうも差別を知らせること、教え込むことに熱心なのだ!? それは東京の住人に対するこの上ない非礼で、私はそれをずっと我慢してきた。彼らこそ、差別の急先鋒、差別を知らない人にも差別の仕組みと感覚を教え込む元凶だろう」
これはつまり、寝た子を起こすなということなのでしょうか?この発言は、集団自決問題とは関係ありませんが、なんか嫌な感じを受けました。
昨日、「検証『ある神話の背景』」を購入しました、発売からだいぶ経ってからの購入ですが読みすすめたいと思います。それにしても、さんげつさんはじめ、阪神さん、キー坊さん、和田さんたちの細かい議論についていくのがやっとです。
サウスポーさん
投稿有難うございます。
どちらかというと仲間内にとどまっている感じですから、新しいメンバーの参加は大歓迎です。
東京の同和問題に関する曽野氏の文章は、サンデー毎日(1998.5)に連載した「私日記1 運命は均される」ではないでしょうか。
もちろん東京にも同和問題はあります。 部落開放・人権研究所のサイト
http://blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%C5%EC%B5%FE%C5%D4 に歴史的なことが書いてありますし、また東京都も啓発のパンフレット を作成しています。
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/10jinken/tobira/pdf/26rikai.pdf
サンデー毎日の記者だった人から聞いたのですが、あまりにひどい事実誤認なので連載を打ち切ったと言っていました。マスコミもこの程度の見識は持つべきでしょう。もっとも、曽野氏のアパルトヘイトのコラムを載せた産経新聞にそれを期待するのは、木に縁りて魚を求むの類でしょうが。
なお、この件については拙ブログでとりあげたことがあります。
http://sangetsu10.blog.fc2.com/blog-entry-20.html#more
彼女の問題点は自己体験を絶対視することで、極端に言うと、自分が見聞きしていないことは存在しないというものです。ですから彼女の話は、「私、私、私」です。この手のオバサンあるいはオジサンはよく見かけますが、公的な場にも登場するところが普通と違います。司法制度改革審議会の委員だったことがありますが、彼女はお荷物そのものでした。拙ブログ
http://sangetsu10.blog.fc2.com/blog-entry-18.html#more
拙著を購入していただき有難うございます。コメントなどお寄せいただければ幸いです。
さんげつさんおはようございます。
私が引用した曽野氏の発言はおそらく、さんげつさんが以前取り上げていたものと同一だと思います。しかし、それで連載が打ち切られたことまでは知りませんでした。教えてくれてありがとうございます。
曽野氏の「居住区だけは別にしたほうがいい」コラムを書いたとき、ジャーナリストの斎藤貴男さんと、元レイシストしばき隊で現在C・R・A・Cの野間さんが「のりこえねっとTV」で対談していましたね。
今回、検証『ある神話の背景』を読みすすめていて発見だらけです。辻版陣中日誌を書いた辻政弘さんは、谷本版陣中日誌には関わっていないことには驚きでした。
あとは、曽野氏が新城真順と会ったこともないと公判で言ったあとに、秦氏との対談では会っていたと認める発言をしていますが、これは偽証ではないですか?
なんのおとがめもなかったのでしょうか?
曽野氏の発言を読んでていて思うのは、彼女は開き直りというか、しらばっくれることが多いように受け取れます。あとは、ピンチになると「たかが作家」というふうに自分を低く設定して切り抜けようとしているように見受けられます。
しかし思うのです。自分のことを本当にたかが作家だと思っているのなら、司法制度改革審議会のような場に出ようと思うでしょうか? 畏れ多くて出るわけにはいかないと、それこそ「たかが作家」だといって辞退するのが自然でしょう。
しかし彼女はそうはなりません。呼ばれたら出ていくわけです。私は節操が無い人なのだなと思いました。
「曽野綾子大批判」という本にも書いてありましたが、曽野氏にはこの論争から逃げないでもらいたいです。
話は変わります。さんげつさんは本を執筆にするにあたって、史料を集めたと思うのですが、あちこちに飛んで取材されたのですか? さんげつさんをそこまで動かしたものは何ですか?
サウスポーさん
コメント有難うございます。
>曽野氏の「居住区だけは別にしたほうがいい」コラムを書いたとき、ジャーナリストの>斎藤貴男さんと、元レイシストしばき隊で現在C・R・A・Cの野間さんが「のりこえねっとT>V」で対談していましたね。
私も見ました。斎藤貴男さんが曽野氏は『ある神話の背景』を書いたあたりから人が変わったという発言をされたように記憶しています。欝の克服のために『ある神話の背景』を書いたとキー坊さんから聞いていたので、なるほどと思いました。
>曽野氏が新城真順と会ったこともないと公判で言ったあとに、秦氏との対談では会って>いたと認める発言をしていますが、これは偽証ではないですか?
偽証だと思いますが、時効ではないでしょうか。法律には全く不案内ですが、「時効は、被害者(または法定代理人)が、損害の存在と加害者の両方を知った時から3年間」とあり、曽野・秦対談は2009年ですから、既に6年経過しています。道義的な呵責を感じるような人でもなさそうですから、何のお咎めもないでしょう。
>彼女は開き直りというか、しらばっくれることが多いように受け取れます。あとは、ピ>ンチになると「たかが作家」というふうに自分を低く設定して切り抜けようとしている
全く同感です。「たかが作家」などとはこれっぽっちも思っていないでしょう。相手の攻撃をかわす方便として使っているだけだと思います。
>自分のことを本当にたかが作家だと思っているのなら、司法制度改革審議会のような場>に出ようと思うでしょうか? 畏れ多くて出るわけにはいかないと、それこそ「たかが>作家」だといって辞退するのが自然でしょう。しかし彼女はそうはなりません。呼ばれたら出ていくわけです。私は節操が無い人なの>だなと思いました。
言うことが信用できませんね。太田良博氏との論争で、「集団自決は、自分にとって現在の地球的な状況下では取るに足りない問題になった」 と言ったと思ったら、3年後の教科書裁判で集団自決に関する国側証人としてノコノコ出てくるわけですから。この人物が、誠実さのお手本として道徳副読本に登場するのには唖然とさせられます。
>曽野氏にはこの論争から逃げないでもらいたい
これも全く同感です。物書きである以上、書いたものには責任を持ってもらいたいです。ことに曽野氏の場合、方々で偉そうなこと言っているわけですから。
>あちこちに飛んで取材されたのですか?
沖縄を別とすれば、四国の観音寺市に辻氏の遺族を尋ねただけです。それ以外の資料は、ネット(沖縄戦に関する防衛省資料の大部分は沖縄戦資料閲覧室でデータベース化されネットで公開されている)、国会図書館と防衛省の戦史室。キー坊さん、和田さん、阪神さん他の情報。旧陸軍の船舶部隊関係の情報は戦友会のネットワークを活用。
>さんげつさんをそこまで動かしたものは何ですか?
集団自決はこれからも問い続けなければならない重いテーマなのに、『ある神話の背景』のようなデタラメ本が出発点ではお話になりません。出来る範囲で基礎になる資料を揃えてみようと思ったのです。
サウスポーさんが、曽野綾子追及に参加してくれれば有りがたいです。
>さんげつさん
>斎藤貴男さんが曽野氏は『ある神話の背景』を書いたあたりから人が変わったという発言をされたように記憶しています。
斎藤貴男さんは年若いと思いますが、曽野の書いたものをよく読んでいるのでしょうね。
和田さんが、曽野は『ある神話の背景』を書く直前あたりに、「鬱」に陥っていたという情報をくれてました。毒舌の山崎行太郎氏が曽野を称して、「芥川賞も取れない3流通俗小j説家」と貶していましたが、『ある神話…』を書いた頃から、曽野の態度がでかくなった気がすると、コメントしてました。
作家として行き詰まっていた曽野は、物書きとしてのし上がる為に沖縄の集団自決を利用する事を思いついたと、私は直感しました。これによって権力の歓心を、買う事に成功したのだと思います。
サウスポーです。
さんげつさん返事ありがとうございます。
>偽証だと思いますが、時効ではないでしょうか。法律には全く不案内ですが、「時効は、被害者(または法定代理人)が、損害の存在と加害者の両方を知った時から3年間」とあり、曽野・秦対談は2009年ですから、既に6年経過しています。道義的な呵責を感じるような人でもなさそうですから、何のお咎めもないでしょう。
このことについて曽野氏の身近な人から何か苦言とかは出なかったんでしょうか? もし出なかったとしたらそれも問題だとは思いますが…
ふと思ったのですが、曽野氏は友と呼べる人がいないのかな?または耳に痛いことを言ってくれる人がいないのかな?と思いました。これまでの失言の数々を考えるとそう思ってしまいます。それとも類は友を呼ぶということでしょうか。
>太田良博氏との論争で、「集団自決は、自分にとって現在の地球的な状況下では取るに足りない問題になった」 と言ったと思ったら、3年後の教科書裁判で集団自決に関する国側証人としてノコノコ出てくるわけですから。この人物が、誠実さのお手本として道徳副読本に登場するのには唖然とさせられます。
WiLL2008年8月号で曽野氏は渡嘉敷に、慰霊碑が建てられる時について以下のように発言していますね、
その時、村から、その碑文を私に書くように、と言って来たのです。私は当事者ではないし、そんな資格もないと思ってご辞退したのですが、それでも、と言われたのは、私が文章を書き慣れているからだと思われたのだろうと思ってお引き受けしました。(p.66)
ここでも曽野氏は「その資格もない」と思っていたのに、それでもと言われて引き受けています。この件といい、教科書裁判といい、謙虚を装っています。この行動は曽野氏だけに限ったことではないので深くは追求しませんが、問題は碑文の内容です。この碑文には、さんげつさんの著書にも触れている通り、辻版陣中日誌には無い、谷本版陣中日誌の一節を、さらに手を入れて書いています。この碑文はずっと残ります。考えようによっては曽野氏は自分が改竄したということを公然と証明してしまったようなものでしょう。
>沖縄を別とすれば、四国の観音寺市に辻氏の遺族を尋ねただけです。それ以外の資料は、ネット(沖縄戦に関する防衛省資料の大部分は沖縄戦資料閲覧室でデータベース化されネットで公開されている)、国会図書館と防衛省の戦史室。キー坊さん、和田さん、阪神さん他の情報。旧陸軍の船舶部隊関係の情報は戦友会のネットワークを活用。
参考になります。ありがとうございます。
>集団自決はこれからも問い続けなければならない重いテーマなのに、『ある神話の背景』のようなデタラメ本が出発点ではお話になりません。出来る範囲で基礎になる資料を揃えてみようと思ったのです。
私は、さんげつさんが本を出す前に「ある神話の背景」を検証した本が出ていなかったのが不思議です。40年以上も経っているのにもかかわらずです。
さんげつさん、「検証『ある神話の背景』」を出版して反響はありましたか?
この本は広く読まれるべきです。
長文失礼しました。
サウスポーさん、コメントありがとうございます。
>このことについて曽野氏の身近な人から何か苦言とかは出なかったんでしょうか?もし出なかったとしたらそれも問題だとは思いますが…ふと思ったのですが、曽野氏は友と呼べる人がいないのかな?または耳に痛いことを言ってくれる人がいないのかな?と思いました。これまでの失言の数々を考えるとそう思ってしまいます。それとも類は友を呼ぶということでしょうか。
曽野氏のまわりにどんな人がいるのか知りませんが、対談相手の顔ぶれを見ると「類は友を呼ぶ」を思い出してしまいます。解せないのは、カトリック関係者です。調べた範囲ではカトリック向けと一般向けは使い分けているようですが。ウソか本当か知りませんが、週刊誌で暴言を吐いている曽野綾子は、自分の知っている曽野綾子とは別人だと思っていたカトリックがいたという話を聞きました。
>私は、さんげつさんが本を出す前に「ある神話の背景」を検証した本が出ていなかったのが不思議です。40年以上も経っているのにもかかわらずです。
これについては長くなるのでブログに掲載しました。
>「検証『ある神話の背景』」を出版して反響はありましたか?
キー坊さんらの仲間内を除けば、残念ながらそれほどありません。マスコミで取り上げてくれたのは沖縄タイムス。評論家の山崎行太郎氏(著書での引用)、芥川賞作家の目取真俊氏(ブログでの紹介)、元沖縄県知事の大田昌秀氏(新聞の論説記事)くらいです。退職したマスコミ関係者が呼んでくれて講演をしたことはあります。