辺野古の状況
遅ればせながら10月3日(土)の参加報告。辺野古へは島ぐるみ会議の手配するバスを利用した。那覇市の県庁前広場から毎日運行しており、10時発、17時半戻り、バス代は往復1,000円。
国と県の協議が決裂してから、県警と海保がいっそう粗暴化していると聞いていたし、10日ほど前には、街宣右翼による反対派テントの襲撃事件も起きている。バスの中で、機動隊と小競り合いになりそうな場合、自信のない人はさっと身をかわして後ろから応援するようにとの指示があり、それなりに心の準備をした。
しかし、現地の状況は予想より穏やかだった。この数日は台風が接近していたからだ。波が高かったため、2月に来たときは沖合いでにらみをきかせていた10隻近い巡視船は見当たらず、機動隊もゲートの後ろに引きこもっていることが多かった。海上作業も、フロート設置の準備だけで、ボーリング調査などはしなかったようだ。
11時過ぎから、キャンプ・シュワブの第1ゲート前で抗議のシュプレヒコールをあげる。警察はゲート前に立ち止まるのは道路交通法違反だと警告するが、機動隊は出てこない。デモ隊の人数は200人くらいで、これくらい揃うと機動隊は手出しをしないとのこと。
昼食後、第2ゲートから、海上作業を行っている大浦湾の見える第3ゲート前までデモ行進。ここから、海上でゴムボートで抗議行動をしている仲間に声援のシュプレヒコール。2月と大きく変わったのはがっしりしたフェンスが作られていて、下の辺野古弾薬庫に降りていくことが出来なくなっていたことだ。
この後、第2ゲートに引き返し、その前で座り込むのが定番のようだが、この日は第3ゲート前でかなり長時間がんばった為、これをスキップして、出発点へもどって、集会。
集会の最中に街宣右翼がなにやらわめき散らして通って行った。これは相手にしないようにとの指示があった。抗議に行くとそれをビデオにとってYoutubeにアップし、反対派の凶暴さをアピールするのが彼らの手口とのこと。街宣右翼が通り過ぎた頃、機動隊がのこのこ出てきた。「街宣車のノロノロ運転をなぜ警告しないのか」と抗議したら、「この次からします」とは言っていた。
機動隊に対抗するには、まず、デモ隊の人数をそろえる事、そしてきちんと監視することだ。
http://cocode.chu.jp/ ch[1]
現地の状況は穏やかだったといったが、もちろん、国会前のデモなどよりはずっと厳しい。
SEALDsを担いだ運動を、世に倦む日々氏「SEALDs運動とは何だったのか - 社会は動かしたが政治は動かせなかった」や辺見庸氏がきびしく批判している。少し冷静に考えれば、浮ついた運動では、これまでもそうであったようにこれからも負け続けることが分かろうというものだ。思いつきのような落選運動や根回しなしの連合政府など効を奏するとは思えない。
この点沖縄の方がずっと足が地に着いている。宜野湾市長選挙、県議会選挙、参議院選挙、これらを運動の中にきちんと位置づけるべく作業を進めている。現地で受けた印象はこのようなものだ。
国と県の協議が決裂してから、県警と海保がいっそう粗暴化していると聞いていたし、10日ほど前には、街宣右翼による反対派テントの襲撃事件も起きている。バスの中で、機動隊と小競り合いになりそうな場合、自信のない人はさっと身をかわして後ろから応援するようにとの指示があり、それなりに心の準備をした。
しかし、現地の状況は予想より穏やかだった。この数日は台風が接近していたからだ。波が高かったため、2月に来たときは沖合いでにらみをきかせていた10隻近い巡視船は見当たらず、機動隊もゲートの後ろに引きこもっていることが多かった。海上作業も、フロート設置の準備だけで、ボーリング調査などはしなかったようだ。
11時過ぎから、キャンプ・シュワブの第1ゲート前で抗議のシュプレヒコールをあげる。警察はゲート前に立ち止まるのは道路交通法違反だと警告するが、機動隊は出てこない。デモ隊の人数は200人くらいで、これくらい揃うと機動隊は手出しをしないとのこと。
昼食後、第2ゲートから、海上作業を行っている大浦湾の見える第3ゲート前までデモ行進。ここから、海上でゴムボートで抗議行動をしている仲間に声援のシュプレヒコール。2月と大きく変わったのはがっしりしたフェンスが作られていて、下の辺野古弾薬庫に降りていくことが出来なくなっていたことだ。
この後、第2ゲートに引き返し、その前で座り込むのが定番のようだが、この日は第3ゲート前でかなり長時間がんばった為、これをスキップして、出発点へもどって、集会。
集会の最中に街宣右翼がなにやらわめき散らして通って行った。これは相手にしないようにとの指示があった。抗議に行くとそれをビデオにとってYoutubeにアップし、反対派の凶暴さをアピールするのが彼らの手口とのこと。街宣右翼が通り過ぎた頃、機動隊がのこのこ出てきた。「街宣車のノロノロ運転をなぜ警告しないのか」と抗議したら、「この次からします」とは言っていた。
機動隊に対抗するには、まず、デモ隊の人数をそろえる事、そしてきちんと監視することだ。
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現地の状況は穏やかだったといったが、もちろん、国会前のデモなどよりはずっと厳しい。
SEALDsを担いだ運動を、世に倦む日々氏「SEALDs運動とは何だったのか - 社会は動かしたが政治は動かせなかった」や辺見庸氏がきびしく批判している。少し冷静に考えれば、浮ついた運動では、これまでもそうであったようにこれからも負け続けることが分かろうというものだ。思いつきのような落選運動や根回しなしの連合政府など効を奏するとは思えない。
この点沖縄の方がずっと足が地に着いている。宜野湾市長選挙、県議会選挙、参議院選挙、これらを運動の中にきちんと位置づけるべく作業を進めている。現地で受けた印象はこのようなものだ。
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