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8割削減とは何だったのか?  新型コロナの伝染病モデル (3)


 8割削減を打ち出した専門家会議資料によれば、日々マスコミによって報告される感染者数は接触率削減後ただちに減少に向かうのではなく、しばらく増大を続けてピークを打ちその後減少に向かう。
 この時間遅れは感染してから隔離されるまで間があくためのように見えるが、これは正しくない。実際、ブログ(2)で紹介したSIRモデルで削減問題を扱うと、そうした時間遅れは発生しない。
 現実にはSIRモデルの想定とは異なり、感染者が他者を感染させる力や隔離される速さは感染後の経過日数に依存する。特に、感染後しばらくはほとんど他者を感染させず、またPCR検査が原則有症者を対象とするため、無症状の5日程度はほとんど隔離されない。これらが時間遅れの原因である。今回のブログでこうした状況を扱えるようSIRモデルを拡張する。
 昨年の流行時に欧米でロックダウンかそれに近い措置、我が国では緊急事態宣言に伴う措置が取られたが、感染者数の減少がモデルの予期したものだったかどうかを検討する。

3.1 準 備


 専門家会議の資料図3.1は感染爆発が起こって20日後に接触率を6割5分削減した場合、8割削減した場合について、日々新たに発生する感染者数(図の凡例では「感染日」と表記)とマスコミなどによって日々報告される感染者数(図の凡例では「報告日」と表記)の変化の様子を示している。この図によれば日々報告される感染者数は削減実施後2〜3週間程度でピークを打ち、その後減衰する。

コロナ図1.1


図3.1 接触が削減された場合のシナリオ(専門家会議資料)(再掲図1.1)


日々発生する感染者数と日々報告される感染者数の時間変化を示す。20日後に接触率の削減(削減率8割と6割5分)を行う。

 

3.1.1 専門家会議資料の概要


 実は図3.1が4月22日に発表される前に、西浦氏から得た情報を元にしたとして、日経新聞が図3.2を報じている。ここでは新規感染者数に限って削減率を様々に変えた例が示されている。

コロナ図3.2


図3.2 接触率の削減をおこなった効果(日経新聞4月12日


新規感染者数の変化を示す。


 日経新聞の説明にある「新規感染者数」とは、「日々新たに発生する感染者の数」であり、本ブログ(2)で述べたように、マスコミによって報じられている「日々報告される感染者の数」とは別物である。しかし、一般の人が図3.2を後者の変化と受け取る恐れは十分ある。この場合、接触率を削減すれば、マスコミ報道の感染者数も翌日から減少すると誤解することになる。
 西浦氏もそれはまずいと思ったと推測するが、専門家会議の資料である図3.1では、日々報告される新規感染者数と日々報告される感染者数の双方が記載された。感染してから感染者として認知されるまでに2週間程度の遅れがあるから、削減の効果が「日々報告される感染者数」に現れるには時間遅れがある。

3.1.2 SIRモデルによる取扱い


 まず、最も基本的なSIRモデルで、接触率削減がどのように議論されるか見ておこう。この問題はすでに本ブログ(2)で取り扱っているのだが、専門家会議の資料にからめて改めて取り上げる。
 SIRモデルは
\begin{align}
\frac{dS(t)}{dt} &= -\beta S(t) I(t) \tag{再掲2.1}\\
\frac{dI(t)}{dt} &= \beta S(t) I(t) - \gamma I(t) \tag{再掲2.2}\\
\frac{dR(t)}{dt} &= \gamma I(t) \tag{再掲2.3}
\end{align}
であった。ここで $ \beta $ が $ t=20 $ において、初期の $ \beta_0 $ から、削減率を $ r $ として、 $ (1-r)\beta_0 $ に変わる。
\[
\beta(t) =
\left \{
\begin{array}{cl}
\beta_0 & (t <20) \\
(1-r) \beta_0 & (t \ge 20)
\end{array}
\right .
\]
 ここで、基本再生産数 $ \mathcal R_0 $ は図3.1と同じく2.5とし、それらは $ \beta_0 $ 、 $ \gamma $ と
\begin{align}
\mathcal R_0 = \beta_0 S(0)/\gamma \tag{再掲2.7}
\end{align}
で結び付けられている。
 さて $ I(t) $ の時間変化を表す(再掲2.2)式から、日々の新規感染者数 $ X_{\mbox{SIR}} $ は
\begin{align}
X_{\mbox{SIR}}= \beta(t) S(t) I(t) \tag{再掲2.4}
\end{align}
日々報告される感染者数は
\begin{align}
Y_{\mbox{SIR}} = \gamma I(t) \tag{再掲2.4}
\end{align}
で与えられる。SIRモデルであることを明記するために下付記号SIRを付した。
  $ \gamma $ の値はブログ(2)で用いた $ \gamma_0=0.1 $ ではなく専門家会議の資料と合わせるために $ \gamma = 0.208 =(\gamma_1とおく) $ としている ( $ I(0)=1 $ から出発して、 $ t=20 $ で日々報告される感染者数 $ \gamma_1 I(t) $ が100を少し超える値になる)。


 以上の設定でモデル方程式を解くと、結果は図3.3のようになる。

コロナ図3.3


図3.3 SIRモデルによる削減効果


専門家会議の資料図3.1の問題をSIRモデルで計算した結果。20日で接触率 $ \beta $ を6割5分あるいは8割削減する。日々発生する新規感染者数は削減率に応じた飛びが生じて、その後減衰する。また日々報告される感染者数は時間遅れなく減衰する。

 この図から2つのことに気づく。
 まず、日々報告される感染者数は時間的な遅れなく減少する。感染してから時間遅れを伴って報告されるのだが、SIRモデルでは、平均的な時間遅れの効果は取り入れているが、分布的には感染してすぐに報告される場合も排除していないからである(詳しくは第3.2節参照)。
 次に日々発生する新規感染者数 $ X_{\mbox{SIR}} $ が図3.1のように連続的に低下していくのではなく、削減と同時に飛びが生じて下がることである。削減する直前では、日々発生する新規感染者数 $ X_{\mbox{SIR}}=\beta S(t)I(t) $ で与えられる。削減直後は $ S(t)もI(t) $ も変わらず、 $ \beta $ だけが小さな値、たとえば8割削減なら $ 0.2\beta $ になる。この結果 $ \beta S(t)I(t) -0.2\beta S(t)I(t) = 0.8S(t)I(t) $ だけの飛びが生じることになる。

3.1.3 専門家会議資料の分析


 時間的遅れの効果を取り入れたモデルは第3.2節で取り扱うが、まず注意したいのは図3.1も図3.2もそれを解いて得た結果ではなく、もっともらしい仮定をいれて作成したポンチ絵と見られることだ。図は削減前後のいくつかの曲線をつなぎ合わせてできているが、それぞれの曲線は基本再生産数で決まる単一の指数関数とみられる。

 具体的には次のようである。新規感染者数 $ X(t) $ に関して、基本再生産数が $ \mathcal R_0 $ であるとき、
\[
\exp(\gamma_1 (\mathcal R_0 -1)t)
\]
に近似的に比例するので、これを使う。0〜20日までは $ \mathcal R_0=2.5 $ 、20日以降は削減率 $ r $ として $ \mathcal R_0^\prime =2.5\times (1-r) $ としている。ここで $ \gamma_1 = 0.208 $ である。新規感染者数 $ X(t) $ は(比例定数を除いて)
\begin{align}
X(t) =
\left\{
\begin{array}{ll}
\exp(\gamma_1 (\mathcal R_0 -1)t) & ( 0\le t<20) \\
C\exp(\gamma_1 (\mathcal R_0^\prime -1)(t-20)) &(20 \le t ) \tag{3.1}
\end{array}
\right.
\end{align}
 ここで、 $ C=\exp(\gamma_1 (\mathcal R_0 -1)\times 20) $ は $ t=20 $ で連続になるように決めた定数である。
 一方、隔離によって感染者数を減衰させる $ \gamma $ に時間遅れを陽に入れて
\begin{align}
\gamma(t) =
\left\{
\begin{array}{ll}
0 & ( 0 \le t < 5 ) \\
\gamma_1 & ( 5 \le t ) \tag{3.2}
\end{array}
\right.
\end{align}
とする。
 日々報告される感染者数は(3.2)式の $ \gamma(t) $ を用いて
\begin{align}
Y(t) = \int_0^t \gamma(s) \exp( \int_0^s \gamma(u)du ) X(t-s) ds \tag{3.3}
\end{align}
と表される。
 (3.2) と(3.3)については第3.2節で説明するとことして、この手順で作成したポンチ絵が図3.4で、図3.1とほぼ一致する。

コロナ図3.4


図3.4 単純な関数の組み合わせで作ったポンチ絵


基本再生産数 $ \mathcal R_0 $ と削減率で決まる指数関数を組み合わせて作った削減効果を示すポンチ絵。専門家会議資料図3.1とほぼ一致する。

 削減でどういうことが起きるか国民に理解してもらうという目的にはこれでよいのだろうが、新規感染者数の変化がおかしいと思うので、モデルに忠実に計算したらどうなるのか次節以下で述べたい。

3.2 時間遅れの効果を取り入れたSIRモデル


 SIRモデルでは、感染者を発見して隔離する速さ $ \gamma $ を一定としていた。現状では平均10日で隔離されるので $ \gamma =0.1 (=\gamma_0とおく) $ である。ところがその実情は、感染クラスタの発生に伴い感染者の濃厚接触者検査する場合等を除き、発症者のみがPCR検査を経て隔離される仕組みになっている。つまり感染してから発症するまでの5日程度は検査・隔離されることがない。従って $ \gamma $ は定数ではなく5日程度は0で、その後一定の割合で隔離されるとした(3.2)式の方が現実に近い。

 新規の発生者がない場合、感染者は時間の経過とともに検査を経て隔離されて減少していくのだが $ \gamma(t) = \gamma_0=0.1 $ の場合、隔離されずの残っている割合は
\begin{align*}
\exp(-\gamma_0 t)
\end{align*}
に従って減衰する(ブログ(2)注1参照)。 $ \gamma(t) $ が階段状に変化する(3.2)場合、同様な変化は
\begin{align}
\exp(- \int_0^ t \gamma(s) ds )=
\left \{
\begin{array}{ll}
1 & ( 0 \le t < 5 ) \\
\exp(-2\gamma_0 (t-5)) & ( 5 \le t ) ) \tag{3.4}
\end{array}
\right.
\end{align}
で与えられる。ここで $ t\ge 5 $ での隔離の速さを $ 2\gamma_0 $ とした。図3.5(左)は $ \gamma(t) $ 、同図(右)は隔離されずに残る割合の時間変化を示す。
 なお、(3.4)式に従った場合の、隔離されるまでの日数の平均値は
\[
5 + 1/(2\gamma_0) = 10
\]
で、SIRモデルの10(日)に一致することを注意しておく。(注1)


コロナ図3.5


図3.5 隔離速度 $ \gamma (t) $ と隔離されずに残る割合


左:隔離速度の変化の様子。灰色は一定(SIRモデル)、黒色は階段状に変化。 右:新規感染がない場合の感染者の減衰状況。灰色と黒色は左図と対応。

3.3 時間遅れのあるSIRモデル


 隔離速度 $ \gamma $ が時間に依存すると言う場合、時間とは社会全体に流れているカレンダー日ではなく、各個人の感染してからの経過日数である。例えば図3.5で階段関数型の変化をする場合、感染してから5日間は隔離されることがなく(隔離速度=0)、その後平均5日の速さで隔離される。
 こうした状況を記述するためには、当該日における感染者 $ I(t) $ だけではなく、感染者がいつ感染したかという情報も考慮する必要がある。 $ i(t,s) $ を $ t $ 日における感染者のうち、感染後 $ s $ 日経過した人の数とする。定義によって
\begin{align}
I(t) = \int_0^t i(t,s) ds \tag{3.5}
\end{align}
である。時間遅れのあるSIRモデルの方程式は、この $ i(t,s) $ と $ S(t), R(t) $ にを用いて次のように書かれる。
\begin{align}
\frac{dS(t)}{dt} & = -S(t) \int_0^t \beta(s) i(t,s) ds \tag{3.6} \\
\left (\frac{\partial }{\partial t} + \frac{\partial}{\partial s}\right ) i(t,s)
& = -\gamma(s) i(t,s) \tag{3.7} \\
\frac{dR(t)}{dt} & = \int_0^t \gamma(s) i(t,s) ds \tag{3.8}
\end{align}
ここでは $ \gamma $ だけでなく、 $ \beta $ も時間に依存する場合も含めて -- $ \beta(s) $ は感染後 $ s $ 日経過した時点での感染力 -- 具体例は次回ブログで取り上げる。
 それぞれの式の意味を説明する。
(3.8): $ t $ 日において感染後 $ s $ 日経過した人は $ i(t,s) $ 人存在するから、それぞれが $ \gamma(s) $ の速さで隔離されるから、全体として隔離人数は(3.8)の右辺で与えられる。
(3.6): $ t $ 日において感染後 $ s $ 日経過した人は $ i(t,s) $ 人存在するから、それぞれが $ \beta(s) $ の力で感染させる。その時非感染者は $ S(t) $ 人存在するから、非感染者の減少の速さは(3.6)の右辺で与えられる。
(3.7):元の(再掲2.2)と見掛けが随分異なるが、
\begin{align}
\frac{dI(t)}{dt} = S(t) \int_0^t \beta(s) i(t,s) ds -
\int_0^t \gamma(s) i(t,s) ds \tag{3.9}
\end{align}
を書き改めたものに過ぎない(注2)。この式の右辺の各項は(3.6)と(3.8)で説明済みである。
 (3.6-3.8)は偏微分と積分が混在していて取り扱いが面倒である。偏微分に関しては幸い1階なので、(3.7)を積分することができる。結果はある関数 $ X(t) $ を用いて
\begin{align}
i(t,s) = X(t-s) \exp(-\int_0^s \gamma(u)du)) \tag{3.10}
\end{align}
と表される。(注3)
$ X(t) = i(t,0) $ であるから、 $ X(t) $ は $ t $ 日における日々発生する感染者数を表す。また、日々報告される感染者数は(3.8)より
\begin{align}
Y(t) = \int_0^t \gamma(s) i(t,s) ds \tag{3.11}
\end{align}
である。これを $ X $ を使って書き直せば
\begin{align}
Y(t) = \int_0^t \gamma(s)\exp(-\int_0^s \gamma(u) du) X(t-s)ds \tag{3.12}
\end{align}
となる。この関係式は(3.3)として、専門家会議資料のポンチ絵を説明する際に使用した。
  $ \beta $ と $ \gamma $ が一定の場合、これらは $ XとY $ はそれぞれ、SIRモデルの
\begin{align}
X_{\mbox{SIR}}(t) &= \beta S(t) I(t) \notag \\
Y_{\mbox{SIR}}(t) & = \gamma I(t) \tag{3.13}
\end{align}
に帰着することを注意しておく。
  $ R $ は(3.8)から求められるので、独立な変数は $ SとX $ である。方程式は(3.6)だけなので数が足りない。もうひとつの方程式は、 $ t $ 日における日々発生する感染者を2通りの表現を等式で結び付けた
\begin{align}
i(t,0) = S(t) \int_0^t \beta(s) i(t,s) ds \tag{3.14}
\end{align}
である。これは(3.10)を用いて
\begin{align}
X(t) = S(t) \int_0^t \tilde {\beta}(s) X(t-s) ds \tag{3.15}
\end{align}
とかける。ここで、
\begin{align}
\tilde{\beta}(s) = \beta(s) \exp(-\int_0^s \gamma(u)du) \tag{3.16}
\end{align}
とおいた。
 (3.6)と(3.15)は $ X, S $ に対する閉じた方程式系(積分方程式)を与えており、次節で見るように、削減の問題はこの方程式を数値的に解くことになる。
 SIRモデルでは基本再生産数が大局的な振る舞いを決定することをブログ(2)で述べた。基本再生産数は、 $ S(t) $ が $ S(0) $ で近似して良い場合に $ I(t) $ の増大状況を示すパラメタとして定義される。 $ S(t)\simeq S(0) $ なら、これは日々発生する感染者数 $ X(t) $ の増大状況と言い換えてもよく、それは(3.15)で $ S(t)=S(0) $ とした式で与えられる。
\begin{align}
\hat{X}(t) = S(0) \int_0^t \tilde {\beta}(s) \hat{X}(t-s) ds
+ G(t) \tag{3.17}
\end{align}
ここで、初期 $ t=0 $ に $ I_0 $ 人の感染者がいたとして、その項 $ I_0 \delta(t) $ を分離して
\begin{align}
X(t) = \hat{X}(t) + I_0 \delta(t)
\end{align}
と表記した。 $ \delta(t) $ はδ関数(0にピークを持ち、そこでの積分値が1)であり、 $ G(t) $ はこの初期に関わる部分で
\begin{align}
G(t) = S(0) I_0 \tilde {\beta}(t)
\end{align}
で与えられる。
 この方程式は現在の $ \hat{X}(t) $ が過去の $ \hat{X}(t-s) 0\le s < t $ の重ね合わせで表されるという因果律を表しているとみなすことができ、再生方程式の名で知られている。
 再生方程式の振舞いについては詳しく調べられている。(注4)大雑把に言うと $ \lambda $ を
\begin{align}
\int_0^\infty S(0) \tilde{\beta}(s) e^{-\lambda t} dt =1 \tag{3.16}
\end{align}
の実根(一意的に定まる)とすると、 $ C $ をある定数として、 $ t $ が十分大きい時
\begin{align}
X(t) \sim C e^{\lambda t} \tag{3.17}
\end{align}
のように振る舞う。 $ \lambda $ の正負が、指数関数的な感染爆発が起きるか、起きないかを決めるのだが、それは
\begin{align}
\mathcal R_0 = \int_0^\infty S(0) \tilde{\beta}(s) ds \tag{3.18}
\end{align}
が1より大きいか否かで決まる。(3.18)で与えられる $ \mathcal R_0 $ が記憶を持つ場合の基本再生産数である。
 特に $ \beta $ と $ \gamma $ が定数の場合 $ \mathcal R_0 $ は記憶のない場合の基本再生産数 $ S(0)\beta/\gamma $ になることを注意しておく。

3.4 削減効果の評価


 さて、 $ \gamma(t) $ が(3.4)で与えられる場合に8割削減の問題を議論しよう。
削減実施の日付を、日々報告される感染者数が約100人となった34日とする。条件としては $ 0 \le t< 34 $ で $ \beta= \beta_0 $ 、 $ 34\le t $ で $ \beta = (1- r) \beta_0 $ とする。ここで $ r $ は削減率で $ r=0.8 (8割削減)、=0.65(6割5分削減) $ である。結果は図3.6である。

コロナ図3.6


図3.6 時間遅れを持つSIRモデルによる削減効果 I


$ t=34 $ で削減を実施。日々報告される感染者数は削減後約10日でピークに達する。ピークの位置は8割削減でも6割5分削減でもあまり変わらない。日々発生する感染者数は削減直後に急落し、その後数日後に小さな山を作ってから減衰する。

 日々新たに発生する感染者数に $ t=34 $ で飛びがでるのはSIRモデルと同じ理由である。新しい現象としてその後に小さくはあるが山ができている。これは8割削減に見合った新規感染者の生成以外に、過去に削減されない状態で発生した感染者が過剰に存在してそれによる効果と考えられる。
 一方、日々報告される感染者数は、SIRモデルと違い影響に時間的遅れがでる。一時増大をし続けてピークに達しその後低下する。ピークに達するまで6割5分削減と8割削減に大きな差はない(橙色と赤色の曲線がほぼ重なっている)。ピークを打ってからの減衰の状況は両者で大きな差がある。
 瞬間的に削減が起きるというのは非現実的で、実際には何日か時間をかけて実現されると考えられる。図3.7は5日かけて削減を実施した場合を示す。削減後からピークを打つまでの変化の様子が6割5分削減と8割削減で違いが出ている。

コロナ図3.7


図3.7 時間遅れを持つSIRモデルによる削減効果 II


削減を5日かけて完了した場合。一気に削減した場合より穏やかな変化で、6割5分削減と8割削減の違いがはっきりしてくる。

3.5 実例:欧米


 欧米では昨年3月から5月にかけて、ロックダウンかそれに準ずる規制が実施された。日々報告される感染者数に着目した時、前小節の議論から期待される効果が見られるのかいくつか実例を見ていくことにする。
 図3.8はニューヨーク市のものである。棒グラフは日々報告される感染者数である。最初から最大限の規制が実施されるわけでなく、休校、図書館などの公共施設の閉鎖といった比較的影響の小さいもの、あるいは地域を限定した規制からはじまり順次強化されるのが普通である。棒グラフの下の赤い三角形は規制の拡大期間を示す。これが終了したのちにロックダウンもしくはそれに準ずる規制が一定期間継続する。青い矩形は感染拡大が山を越えたとみられる時期を示す。
 最大限の規制から概ね7〜10日程度でピークを迎えている。モデル計算のパラメタ $ \mathcal R_0=2.5、\gamma=0.1 $ をチューニングする必要があるかもしれないが、定性的には、概ね期待された結果と言って良いだろう。


コロナ図3.8


図3.8 接触削減が感染に与えた影響(ニューヨーク市)


棒グラフの下の赤い三角形は規制の拡大期間を示す。これが終了したのちにロックダウンもしくはそれに準ずる規制が一定期間継続する。青い矩形は感染拡大が山を越えたとみられる時期を示す。

 図3.9はドイツの例で、これもモデル計算から期待される変化を示していると言って良いだろう。

コロナ図3.9


図3.9 接触削減が感染に与えた影響(ドイツ)


 ところが、期待はずれの例もある。図3.10はイギリスの例である。はっきりしたピークはなく、高原状の推移を示している。モデル計算の8割削減ではなく6割5分削減に近いと言って良い。これは、ロックダウンに何かしら抜けがあるのではないかという疑念を抱かしめるものだが、それに立ち入るだけの情報を持ち合わせていないので、ここで止めておく。

コロナ図3.10


図3.10 接触削減が感染に与えた影響(イギリス)



3.6 実例:日本


 図3.11は錯塩3月から5月の期間、日々報告された全国の感染者数の推移である。4月7日に緊急事態宣言が、東京都、大阪府、神奈川県、埼玉県、千葉県、兵庫県、福岡県に発せられ、16日に対象地域が全国に拡大された。12日ごろから日々報告される感染者数は急激に減少を始めた。これはモデルから推測されるより早く始まったことを意味する。モデル計算では時間遅れは7日から10日だが、この計算は隔離までの平均日数を10日としたものである。この当時はそれより大きく15日程度とみられるので、それを勘案すると時間遅れは10日から2週間程度になるだろう。
 このことから早期のピークアウトは緊急事態宣言に伴う規制の効果ではないとみるのが自然だ。図3.11は実効再生産数 $ \mathcal R_t $ の推移も示しているが(注5)、緊急事態宣言の前にすでに減少傾向にあり、この推測を支持しているとみられる。
 この原因として、小池都知事が外出自粛を呼びかけた、入国規制を行った、マスクの着用率が上がったなどが考えられる。現象は東京だけでなく全国的にみられることから都知事の呼びかけがきっかけとは考えにくい。またマスクの着用率の上昇は、急にピークを打つ理由にはなりにくい。これに関して、Openブログ氏は興味深い指摘をしている。(注6)感染が流行していたヨーロッパからの飛行便が3月末に停止になり(外国人はその前から規制されていたが)、感染した日本人の流入がとまったためというのである。これが最も可能性が高いように見える。
 4月中下旬以降の減少は、外国からの流入が止まったことと非常事態宣言による外出自粛の効果が重なったものとみなせるが、両者を分離するには外国からの流入に関する情報の分析が必要で、後のブログで試みたい。

コロナ図3.11


図3.11 接触削減が感染に与えた影響(日本)


4月7日に東京都、大阪府、神奈川県など7都府県に緊急事態宣言が発せられ、4月16日に対象地域が全国に拡大された(2つの赤丸の位置)。黒色の折れ線は実効再生産数(目盛は右側)で、青色バーは標準偏差を示す。


3.7 まとめ


1. 接触率を削減したときに、日々報告される感染者数は時間遅れを伴ってから減少に転ずる。

2.時間後れが生じる原因は感染者が他人を感染させる強さと感染者が隔離される速度が、感染してからの経過日数に依存するからである。感染してしばらくは他人を感染させる力は弱く、また発症した人を対象にPCR検査をかけるため感染後5日程度は隔離されることが(濃厚接触者と判断された場合を除けば)ない。

3.接触率を一気に下げた場合、日々報告される感染者数のピークまでの時間は1週間程度で、削減率にほとんど依存しない。ピークに付けた後の減衰率は削減率に大きく依存する。

4.接触率を何日かかけて下げた場合、日々報告される感染者数のピークまでの時間は一気に下げた場合より長くなり、長さとピークの高さは削減率に依存する。削減率が小さいほど、ピークの位置は後ろにかつピークは高くなる。

5.欧米で実施されたロックダウンもしくはそれに準ずる措置では、ニューヨーク市やドイツなどモデルから期待される変化を示している。一方で、英国では期待外れであるが、原因は不明である。

6.我が国の前回の緊急事態宣言時の減衰は、モデルから期待されるより早く始まっている。したがって、この部分に関しては緊急事態宣言に伴う削減効果ではないと見られる。原因としては、小池都知事の外出自粛要請(3月27日)と同じころ感染流行地である欧州からの帰国便が打ち切りになって外部からの感染流入が止まったことが主たる原因と考えられる。その後、緊急事態宣言の措置に伴う効果が加わって感染者数はかなり早く減衰したと見られる。

注 釈


(注1)
 0日に感染して、 $ t $ 日にまだ隔離されていない感染者数の割合 $ i(t,t)/i(0,0) $ は(3.10) から $ \exp(-\int_0^t \gamma(s)ds) $ で与えられる。これを隔離されるまでのランダムな時間 $ \tau $ として、 $ P(\tau >t) $ と解釈する。隔離されるまでの平均時間は
\begin{align*}
\int_0^\infty t dP(\tau\le t) &= -\int_0^\infty t dP(\tau> t) \\
&= \int_0^\infty P(\tau >t) dt \\
&= \int_0^5 dt + \int_5^\infty \exp(-2\gamma_0 (t-5))dt \\
&= 5 + 1/(2\gamma_0)
\end{align*}

(注2)
\[
\frac{dI}{dt} = \frac{d}{dt} \int_0^t i(t,s) ds = i(t,t) +
\int_0^t \frac{\partial}{\partial t} i(t,s) ds
\]
及び
\[
\int_0^t \left[
\frac{\partial}{\partial s}i(t,s)
\right] ds
= i(t,t) -i(t,0)
\]
\[
i(t,0) = S(t) \int_0^t \beta(s)i(t,s)ds
\]
を用いると(3.9)は
\[
\int_0^t \left[
\frac{\partial}{\partial t}i(t,s) +
\frac{\partial}{\partial s}i(t,s)
\right] ds
= -\int_0^t \gamma(s) i(t,s) ds
\]
と書き換えられる。ここで積分の下限0は任意に取れるので、この両辺の被積分関数が等しくなり(3.7)が
得られる。
 なお(3.7)は、マッケンドリックが1926年に導入して、後に1950年代になって再発見されたものだが、上記のような微分方程式モデルから導くのではなく、直接的な考察から導くのが通常のようだ。稲葉「マッケンドリック方程式奇譚」[1]

(注3)
 1階の偏微分方程式の一般解は、補助方程式の解から導く[2]。(3.7)の場合
\[
\frac{dt}{1} = \frac{ds}{1} = - \frac{di}{\gamma(s)i}
\]
この解は、任意定数 $ C_1,C_2 $ として
\begin{align*}
t &= s+ C_1 \\
i &= C_2 \exp(-\int_0^s \gamma(u) du)
\end{align*}
で与えられる。これから任意関数 $ F $ として偏微分方程式の一般解は
\[
F(t-s, i(t,s) \exp(\int_0^s \gamma(u)du)) =0
\]
あるいは、 $ X $ を任意関数として
\[
i(t,s) = X(t-s) \exp(-\int_0^s \gamma(u)du)
\]
となる。

(注4) サイトRei Frontier Tech Blogに簡潔なまとめがある。

(注5)  実効再生産数の計算はCori氏の方法によった。計算のためのRによるソフトが提供されている。適用するには発症間隔(serial interval)の平均値と標準偏差が必要だが、山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信にある6.3日と4.3日を使用した。

(注6) Openブログ

文 献


[1]稲葉寿「マッケンドリック方程式奇譚」JSMB Newsletter No.88 2019年
[2]占部実「微分方程式」共立出版 1955年 第10章
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技術系の某役所を退職後、あり余る時間を使い、妄説探索の旅へ。理系老人の怪刀乱魔。

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