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8割削減とは何だったのか?  新型コロナの伝染病モデル (8)




 感染者の出す飛沫に含まれる、あるいは感染者の手に付着したウィルスが物に転移し、可感染者がそれに触れることによって感染するプロセスがある。これは通常、接触感染と呼ばれている。

 当初このリスクが声高に叫ばれたと記憶する。5月3日に放送されたNHKスペシャル「調査報告 クルーズ船~未知のウイルス 闘いのカギ~」では、クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号を分析した結果が報告されている。ユニットバスの床の4割弱が汚染され、便座、トイレの取手、枕、電話の受話器、テレビのリモコンなど日常的に手に触れそうな多くの場所からウィルスが検出された。ウィルスはステンレスやプラスティックの表面にも3日ほど生存し、これは通常のインフルエンザの約1.5倍の長さである。感染力は最初の3時間程度が強力である。

 しかし、その後、この脅威はあまり取り沙汰されなくなったように思う。7月9日のWHOの報告書「新型コロナウイルスの伝播について:最新の知見の予防策への示唆」は、「接触感染の可能性はありうる。しかしそれを直接証明した具体例は報告されていない」と控えめな表現である。もっとも、最近でも「同じ端末のキーボード共有、クラスター原因か」のような記事(読売12/7)が出ているから、やはり、無視はできないのだと思う。

 この接触感染の問題を考えてみたい。
 

8.1 SIRMモデル


コロナ図8.1

図8.1 SIRMモデルの流れ図


可感染者$S$は感染して、感染者$I$になり、検査を経て隔離者$R$になる。これがSIRモデルであるが、SIRMモデルでは、感染者$I$がウィルスで汚染された物質$M$を作り出し、可感染者がそれに触れることによっても感染者が発生する。一方、汚染された物質のウィルスは感染力を喪失していく。

方程式は
\begin{align}
\frac{dS(t)}{dt} &= - \beta S(t) (I(t) + M(t)) \tag{8.1} \\
\frac{dI(t)}{dt} &= \beta S(t) (I(t) + M(t)) - \gamma I(t) \tag{8.2}\\
\frac{dM(t)}{dt} &= \mu I(t) - \kappa M(t) \tag{8.3} \\
\frac{dR(t)}{dt} &= \gamma I(t) \tag{8.4}
\end{align}
 $M$がウィルスで汚染された物体を感染者数に換算した量である。(8.3)式の右辺第1項で感染者に比例して作られ、第2項で減衰していく。感染への影響は(8.1)と(8.2)の第2項で与えられ、非感染者$S$と汚染物体$M$の積で与えられる。
効果を$M$に繰り込むことができるので、比例係数は$S$と$I$と同じく$\beta$としている。
 なお、$M$は人ではないので、保存則$S(t)+ I(t) + R(t)=一定$の枠外にある。

 $M$の寿命は数時間から数日となっているので(8.3)の係数$\kappa = 1$とおく。問題は汚染物体を生成するパラメタ$\mu$である。このパラメタはウィルスの性質だけで決まるものではなく、人がウィルスに接触する場所の数(公衆トイレ、電車のつり革等)、社会的行動様式(マスク装着、手洗い)等にも依存する。したがって、実験室の分析で求めるのは難しく、観測される実効再生産数といったマクロな量から推定するほかないと思われる。たとえば、マスク装着がなかった時期と装着が一般化した時期の実効再生産数の差を調べてそれから$\mu$を推定する。
 

8.2 基本再生産数


 基本再生産数は$\mu$に依存するので$\mathcal R_0(\mu)$と書くことにする。$\mu$が小さいとして
\begin{align}
\mathcal R_0(\mu) \simeq \mathcal R_0(0) +
\frac{\mu \mathcal R_0(0)}{\gamma (\kappa/\gamma + \mathcal R_0(0) -1)} \tag{8.5}
\end{align}
が成り立つ(注1)。右辺の第2項が、接触感染による基本再生産数の増加である。

 接触感染の影響を探るための候補の一つがマスク着用である。米国でマスク着用を義務化したら患者数が1日当たり最大2ポイント下がったという調査があるようだ。この場合、接触感染だけではなく飛沫感染を減らす効果も含んでいるが、ひとまずこれが接触感染起源だとして、(8.5)の$ 第2項=0.02 \mathcal R_0(0)$、$\mathcal R_0=2.5$、 $\kappa = 1$ 、$ \gamma = 0.1$とおいて、$\mu \simeq 0.02 $を得て、モデルが定まる。

 接触感染の影響は基本再生産数を2.5×0.02 = 0.05増やすだけなので、マスクの効果は短期的ではなく、長期的に顕在化するということかと思われる。

 なお、この議論で、飛沫感染の影響を取り除く必要がある。
 通常のインフルエンザは接触感染のリスクは高くないようなので、マスク着用率の差による基本再生産数の違いを見積もることができれば、飛沫感染の寄与分が算出できる;この数字を新型コロナの2%の増加から差っ引けば接触感染の寄与になるだろう。こう考えて、ネット上で、通常のインフルエンザの情報を探してみたが、それらしき記事は見つけられず、この目論見は頓挫している。

 また、2%という数字は生活様式に依存しているので、米国ではなく、日本人のデータをベースにしなければならない。日本では昨年4月にマスク着用率が急速に上がったので(注2)、これを分析すると知見が得られるだろう。ただし、この時期は緊急事態宣言が発出されて人間活動が低下していたこと、及び、ヨーロッパで感染した人の帰国が急激に停止されたことがあり、それらの影響を分離することが難しい。

注 釈


(注1) 基本再生産数$\mathcal R_0$には、$IとM$ が絡むので、(8.2)と(8.3)を線型化して $I(t), M(t) \ll S(0) $ であることを使って


\begin{align*}
\frac{dI(t)}{dt} &= \beta S(0) (I(t) + M(t)) - \gamma I(t) \\
\frac{dM(t)}{dt} &= \mu I(t) - \kappa M(t)
\end{align*}
 $I(t), M(t) \sim \exp(\rho t)$として、自明でない解を持つという条件から
\[
\left |
\begin{array}{cc}
\rho - \beta S(0)+\gamma & - \beta S(0) \\
- \mu & \rho + \kappa
\end{array}
\right |
= 0
\]
行列式を展開して
\[
\rho^2 + (\kappa - \beta S(0)+\gamma ) \rho + \kappa (\gamma - \beta S(0))- \mu \beta S(0)=0
\]
値の大きい根は
\[
\rho_{+} = (1/2)\left[ -(\kappa - \beta S(0) + \gamma) + \sqrt{(\kappa + \beta S(0) -\gamma)^2 + 4 \mu \beta S(0)}\right]
\]

$\mu$が小さいとして1次までとると
\begin{align*}
\rho_{+} & \simeq \frac{1}{2} \left[ -(\kappa - \beta S(0) + \gamma) + (\kappa + \beta S(0) -\gamma)
(1 + \frac{2\mu \beta S(0)}{(\kappa + \beta S(0) -\gamma)^2}\right] \\
& = \beta S(0) - \gamma + \frac{\beta \mu S(0)}{\kappa + \beta S(0) -\gamma}
\end{align*}
ここで、
\begin{align*}
\rho_{+} & = \gamma (\mathcal R_0(\mu)-1)\\
\mathcal R_0(0) &= \beta S(0)/\gamma
\end{align*}
を使えば(8.5)を得る。

(注2) 第19回新型コロナ感染症対策分科会資料8 p.21


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技術系の某役所を退職後、あり余る時間を使い、妄説探索の旅へ。理系老人の怪刀乱魔。

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