曽野話法 ー 砂上論法を斬る(6)
得意技を封じられると(2)
今回の産経新聞のコラムも、曽野綾子氏の得意技を封じられたケースである。南アフリカ共和国の大使から公的な抗議を受けたからだ。2月11日のコラムに対して、抗議は2日後、いつもの黙殺パターンが通用しなくなった。それでも17日の朝日新聞に寄せた反論では、批判者を「間違った情報で興奮している人々」と揶揄し、「チャイナタウンやリトル東京はいいものでしょう」と小馬鹿にしたような論点ずらしで逃げ切りを図るところまでは、いつもの調子である。
しかし、その後の17日夜の萩上チキ氏とのTBSラジオ対談は明らかに変調である。事実を争わない曽野話法=砂上論法では、本来避けなければいけない対談であった。萩上氏の穏やかではあるが、ポイントを外さない切り込みで曽野氏は窮地に陥った。まず、白人が逃げ出したマンションのエピソードが伝聞に過ぎない事を認めさせられ、なんでそんなことを書いたのかと詰め寄られれば、聞いた通り書いちゃ悪いのかと逆切れ。黒人は大家族主義だというが、時間・空間を越えて一般化出来るのかと問いつめられ、反論無し。世間の批判に対して、意図したのは区別であって差別ではない、いわんやアパルトヘイトを称揚した覚えは全くないと曽野氏は釈明する。ならば、反論を書いて、真意を文章で示すべきではないかとする萩上氏に対して、世間が興奮している今は適当でないと答える。では書くのですねと念を押すと、約束出来ないという。
曽野氏はアパルトヘイトなぞ、そもそも全く念頭になかった、なぜなら氏が南アフリカ共和国に入った時、すでにそれは瓦解しており、目撃しなかったからだという。これは曽野話法でよく用いられる論法のひとつである。すなわち、「曽野氏が見聞きしていない、あるいは知らないものは、存在しない」である。サンデー毎日に連載された「私日記1 運命は均される」で「東京生まれで東京育ちの曽野の周囲で同和問題が話題になった事はない。ゆえに同和教育はやめるべきである」と主張した。しかし、彼女が知らなくても東京にも同和問題は存在する。はなはだしい事実誤認であり、さすがに連載は打ち切りとなった。
教科書裁判のときもそうであったが、「事実を争わず人を攻める」得意技を封じられると、対応に柔軟さをを欠くようだ。意図したことをきちんと文章化できず、多数の人がアパルトヘイトを称揚していると誤解したことは、文筆で身を立てる作家として恥ずべきことである。しかし、メンツにこだわってコラムを撤回せず、醜態をさらすことになっては失敗である。政治家がよく用いる対応「誤解を与えたとしたら本意ではなく、コラムは撤回する」の方が遥かにスマートである。
曽野氏は3月6日のBSフジプライムニュースでペコ南ア大使と対談した。司会者が曽野氏の援護射撃を一生懸命やるところはフジテレビらしい。対談中、曽野氏は、司会者の方を向くことはあっても、南ア大使に向かって話す事はほとんどなかった。南ア大使は、礼儀を心得ない日本の知識人に唖然としたのではないか。
今回の産経新聞のコラムも、曽野綾子氏の得意技を封じられたケースである。南アフリカ共和国の大使から公的な抗議を受けたからだ。2月11日のコラムに対して、抗議は2日後、いつもの黙殺パターンが通用しなくなった。それでも17日の朝日新聞に寄せた反論では、批判者を「間違った情報で興奮している人々」と揶揄し、「チャイナタウンやリトル東京はいいものでしょう」と小馬鹿にしたような論点ずらしで逃げ切りを図るところまでは、いつもの調子である。
しかし、その後の17日夜の萩上チキ氏とのTBSラジオ対談は明らかに変調である。事実を争わない曽野話法=砂上論法では、本来避けなければいけない対談であった。萩上氏の穏やかではあるが、ポイントを外さない切り込みで曽野氏は窮地に陥った。まず、白人が逃げ出したマンションのエピソードが伝聞に過ぎない事を認めさせられ、なんでそんなことを書いたのかと詰め寄られれば、聞いた通り書いちゃ悪いのかと逆切れ。黒人は大家族主義だというが、時間・空間を越えて一般化出来るのかと問いつめられ、反論無し。世間の批判に対して、意図したのは区別であって差別ではない、いわんやアパルトヘイトを称揚した覚えは全くないと曽野氏は釈明する。ならば、反論を書いて、真意を文章で示すべきではないかとする萩上氏に対して、世間が興奮している今は適当でないと答える。では書くのですねと念を押すと、約束出来ないという。
曽野氏はアパルトヘイトなぞ、そもそも全く念頭になかった、なぜなら氏が南アフリカ共和国に入った時、すでにそれは瓦解しており、目撃しなかったからだという。これは曽野話法でよく用いられる論法のひとつである。すなわち、「曽野氏が見聞きしていない、あるいは知らないものは、存在しない」である。サンデー毎日に連載された「私日記1 運命は均される」で「東京生まれで東京育ちの曽野の周囲で同和問題が話題になった事はない。ゆえに同和教育はやめるべきである」と主張した。しかし、彼女が知らなくても東京にも同和問題は存在する。はなはだしい事実誤認であり、さすがに連載は打ち切りとなった。
教科書裁判のときもそうであったが、「事実を争わず人を攻める」得意技を封じられると、対応に柔軟さをを欠くようだ。意図したことをきちんと文章化できず、多数の人がアパルトヘイトを称揚していると誤解したことは、文筆で身を立てる作家として恥ずべきことである。しかし、メンツにこだわってコラムを撤回せず、醜態をさらすことになっては失敗である。政治家がよく用いる対応「誤解を与えたとしたら本意ではなく、コラムは撤回する」の方が遥かにスマートである。
曽野氏は3月6日のBSフジプライムニュースでペコ南ア大使と対談した。司会者が曽野氏の援護射撃を一生懸命やるところはフジテレビらしい。対談中、曽野氏は、司会者の方を向くことはあっても、南ア大使に向かって話す事はほとんどなかった。南ア大使は、礼儀を心得ない日本の知識人に唖然としたのではないか。
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